プロのアーティストになるのは諦めなさい


今でも忘れないがオレはとある超有名業界大物実力者にこう言われたことがある。自己評価はともかく、周りの関係者知人友人の評価や、何かのコンテストプレゼン等での評価は良かったから、こう言われたのはとてつもないショックだったし、驚きであった。


今振り返ると、当時の自分、そして今の自分も多分にそのケがあるが、純粋すぎたんだろうと思う。素晴らしいものであれば純粋に受け入れられるはず、と思っていたのだ。その超有名業界大物氏は、そんな考えのオレを見抜き、貴方にはこんな汚い世界は向いていません、と言ったのだと思っている*1


ようやく松岡氏が触れてくれたが、この手の議論は、音楽のことを語っているにもかかわらず、「音楽そのもの」に触れられることがほとんどない。オレ達はクリエーターであり、音楽家である。音楽について語ろうと思えば、例えばオレならまず音楽的構成から進行からメロからコードから背景からミックスから些細なフックから、といったように語る。これはまぁ人それぞれだと思うが、ともかく「音」について語るのが当たりまえなんである。

ところが彼らは違う。まったく音に触れない。彼らの文章の中から「音楽」に関する単語を除いてしまうと、まったく違う業界の話になってしまうだろう。


たとえば好きなアイドルについて語る時、オレらは彼女がどれだけ可愛いか、どれだけ好きか、どの部分がグッと来て萌えなのか語る。

しかし多分彼らは、その子の売り上げ向上のための戦略について語る。当事者である「女の子」抜きでどんどん語る。こうしようああしよう、と語る。

そのうち女の子は思うだろう。「この人たちは本当に私を好きなんだろうか…」。


音楽で何か語ろうとする人には、とかく胡散臭さが付きまとう。それはなぜかというと、「音そのもの」に付いて語っていない場合が多いからだ。そういう意味じゃ、音楽家にせよ何にせよ、芸術家って言うのは特殊なんだろうなと思う。

その本来特殊であるものを、一般の人にも判りやすく呈示するってのが、売るほうの役割だと思うんだけど、質が良い悪いっていうよりは、「これは質が良い!」と思ったら、それを判らせるための努力をすればいいんじゃないかね?

どういう風に「質が良い」のか。


例えば、ブライアンウィルソンという人は、そういうスタッフがまわりに居たお陰で、復活できたんじゃないのかね?


ということで、ここまで読まれていかがでしょうか。
やっぱりオレは業界に向いてませんよねw


続き

*1:それを裏付ける言葉がその後に続いたので

正のエネルギー


朝から、過去いろんな人に頂いた応援メールなどを見返していた。「力を貰いました、ありがとう」とか「がんばってください」とか、まぁありがちな内容なのだが嬉しいものだ。

よくオリンピックやなんかでほら、TVあてに応援ファックス送って、とかあるじゃん。こんなん送っても別に何も変わらんのに、と普段は思うんだけど、こうして見ると、いややっぱり変わるかもね、って思うんだよね。


日本人というのは割と悲観的な国民柄で、マイナー(短調)な曲のほうが受けが良いのよね。その傾向が端的に現れてるのがネットだと思ってるんだけど、例えば、直接ライブとかに見に来る人だとね、オレの曲も前向きで明るい曲のほうが受けがいいわけさ。でも、ネット投票とかになると、悲観的でマイナーな曲のほうが凄く点数集めたりしてね、おもしろい現象だと思った。

その話を以前音大出の知人と話したことがあったんだけど、短調の音楽は感情移入しやすいんだよね、とか言ってて、ああそうかもねえ、と。まぁクラシック音楽自体ヨーロッパ中心なんだから、あの辺もまた悲観的地域だからさw、確かにそうかもと妙に納得した。


オレもブログを数個書いてるけど、この裏ブログは毒抜きみたいな部分があって、やっぱり外面で「頑張ります!」とかばかり書いてても疲れるわけで、精神的バランスを取るために始めたんですよ。でも結局オレの資質は変わらないわけでね、昔id:ymScott氏とも話したとおり、負のエネルギー撒き散らすより、正のエネルギー出したほうがいいんじゃないか、ってなるのよね。


最初に「裏」始めた時*1はそれほど顕著じゃなかったけど、一時中断して去年復活してみると、「はてな村」っていう場所が特にそうなのかもしれないけど、負のエネルギーって凄く蔓延してるなって思って、しかもね、こないだのid:hashigotanさん*2みたいな、ある意味「センスある負w」っていうのではなくて、ただ、ダラダラと「負」、なんとなく「負」みたいな人が多くて、辟易してた部分もある。もちろんそれも真実だから「オマエラ変だ」とまでは言わないけど、そういう「村民性」なんだろね、とは思ってた。


オレもクリエーターの端くれとして、そういう村民に受けそうなマイナー曲というのは書けるだろう。前述したネットで人気の曲みたいなジャンルのヤツ。でもね。今ライブでも実際その曲取り上げてやってるんだけど、やっぱりそういうの歌うとね、自分も暗くなってくるんだよね。そして、「わかるわかる」っていう負の共感エネルギーっていうものが集まってくるのも如実に判る。

そのエネルギー浴びてると、「あーここに埋没するとまずいっ」って凄い危機感覚えるのですよ。


オレらの周りには幸い前向きな人が集まってくれて、負に埋没することはそれほどなく済んでる。それは自分自身も負に溺れないよう気をつけるようになったっていうのもあるだろう。ここで散々書いたように、オレの過去はお世辞にも明るい幼少時代とは言えなかったがね。いつまでもそれ言ってても始まらないからね。

ましてや今は、注目を浴びる立場でもあるわけだし、であれば尚更、「負」ではないよう日々気を付けて居なければならない、それが責任だと思っているよ。

*1:もう4年前ですかね

*2:前回のエントリ旧タイトル「〜無気力にさせてるか少しは考えろ」は彼女がオリジナル

始まりの始まり


「終わりの始まり」―― 音楽業界の2007年と2008年 - くだらない踊り方

最初に書いておきますが当エントリは初投稿されてから今回まで、タイトル含め3度書き直しました。当初は延髄反射の小汚い罵詈雑言に終始、その後、冷静に大人の文章を書きました。しかしそれでも私の気持ちを充分伝え切っていないような気がします。

現時点で彼のブクマ数は500を越えており、翻って私のブクマは僅か2個。どちらが受け入れられたか明らかです。

私の担当は製作であり、どちらかというとアーティスト側です。想像ですが彼はその部署ではない気がします。おそらく現実的であることを常に求められる現場なのでしょう。その時点で私たちは水と油です。私は常に「コップにはまだ水が半分ある」と考える人間です。

私が一番ショックだったのは彼が評論家的であったこと、もっと言うと夢も希望もない展開のままエントリを書き終えていることです。そこに配慮があったなら私は許せたかもしれない。業界は彼一人でやっているものではありません。大勢の人を巻き込み、リスナーを不安に陥れ、事実上の営業妨害です。そこに配慮がない時点で、私は彼が音楽業界向きではないと判断しました。

前置きはこれくらいにして、というかこれが既に本文のようになってしまいましたが、以下の部分が前回の本文となります。

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オレオレ主義


先日レギュラーで出ていたラジオの収録に行った。実はオレは番組レギュラーを今年一杯で降りることになっていて、最後の収録も終っていたので、もう行くことはないだろうと思ってたのだが、特別企画があって急遽呼ばれたのだ。

先日、会社の業務終了のことを書いたが、この番組もその関係のものである。そういう意味では最後のお勤めだったともいえる。

そんなわけだがスタジオに着いた早々、もう一人の番組パーソナリティが、どこから連れて来たのか、数人のスタジオ見学者を前に「自作曲」を歌い、必死にアピール中の場面に出くわす。アンタさ、オレがもうひとりのメインだろが。時間ねえんだしさっさと収録準備しろよ、と思ったが、その気配なし。


うちの会社には「元アーティスト崩れ」みたいな人たちがプロデューサーとして所属していた。表向きは自分が歌うことを諦め、若者をプロデュースするために第2の人生を、みたいなスタンスだったが、実際会ってみると、今でも野心ありありで、隙さえあれば自分を売り込むことに必死になるのだった。

元々才能があり「今こういう不遇状態なのは運がなかったんだね」という人も中にはいたが、殆どは「ちょっとどうかと思う」という人ばかりだった。そんな人が他人のプロデュースなんかやっても上手く行くはずない気がするんだがね。


そのラジオの彼もそんな一人だった。表向きはオレの事を立てていても、いざとなると毎回こうなのだ…。この場面でオレが歌い出だせば、オレが全ての空気を持って行くことはわかってる。そうなれば彼が不機嫌になるのも、火を見るより明らか。必死なアーティストほど扱いにくいものはない。オレは知らん振りして放置プレイを貫いた。


社内もいつもそんな状況だった。問題なのは、その状況を客観的に判断できるスタッフがいなかったことだ。そういう「オレがオレが」言う人は大概、人格的にも面倒な人が多いので、みんなが避けるようになる。結果的に誰も何も言わないので、その人の思い通りになってしまうのだ。

どこの会社でも在るのではないだろうか。社内で浮いているが外向きには顔が知られている人とか。

そんな状況に何も対処しなかった自分にも、もちろん責任はある。責任があるのは分かっていたが何もしなかった。実は心のどこかで、さっさと会社がなくなってほしいと願っていたのかもしれない。少なくとも自分以外は全員辞めてほしいとは思っていたな。明らかにそのほうが会社のためだったから。

だからオレだけが残った時、部門閉鎖が決まったのはちょっと残念だった。しかし新たな道を歩き出すきっかけかも試練と思い、前向きに考えることにした。


ラジオの彼は、ひとしきりアピールし終わると、おざなりのようにオレの話題に触れ「実に才能のある人なんですよ」とか言う。しょうがないのでオレも見学者(全員女性)に「よろしくです。来月ライブもあるし良かったら是非♪」とか言うと、「チケットはタダですか?」などととんでもないことを言う。「てめえセクハラするぞごら」と内心思ったが、それには答えず素敵な営業スマイルを返し、話題を強制終了させた。


前回書いたこととも通じる話だけど、困った大人の「オレオレ」アピールってのは、本当に痛い。それは、全てのことが本人の中で未消化だから痛く感じるのだ。オレは好きだったアーティストをとことんしゃぶり尽くし、次々に卒業した。その延長上にあった仕事でも、出来ないことは徹底的に自己究明し研究し、全てひとりで可能、という段階に至るまでやり続けた。どんなことでも、「途中で終わらす」ということは決してしなかった。全て最後までやった。

ちょっと前までは自分も「オレオレ」という部分がある痛い大人だったが、少なくとも本業に関しては、今のオレはそんなことはないと思っている*1


自分が必死で頑張って通り過ぎて来た世界に、大の大人のオマエラが未だ留まり続け、つまらない「オレオレ」をアピールする。昔の自分を見るようで本当に辛い。そしてウザイ。半端なヤツがいちばん酷い。


ってことで、これは次の話題への壮大なネタフリである。

*1:ここでこんなブログを書いてることからも判るとおり、それ以外に関してはまた遣り残してることがたくさんあると思ってる。だからここはちょっと痛いのだ

カバーの封印からアーティスト化が始まる。


個人的意見と一応断っておくが。


オレはビートルズやらビーチボーイズやら、所謂おっさんホイホイ的ジャンルの音楽を弾いて歌えるので、どこでも本当に重宝される。珍しい曲もたくさんやるので本当に喜ばれる*1

いつしかそれがうざくてうざくてたまらなくなった。重荷ではない。ただただウザイ。オレが歌うと「いいねー」と目を細めビールを口に運ぶ。そうか。そんなにキモチイイか。よかったな。とか、まあ良いことをしたな的な気分にならないことはないが、それも含めてウザイ。なんでオレはこんな気分にならなきゃいけないんだ?とね。


オレにとって音楽は人助けではない。ただの自己証明だ。それに共感するヤツが勝手に投影させて聴いてくれれば良い。しかしカバーの場合はそうではない。聴いたやつの自己証明の道具だ。別にオレじゃなくとも、同じ曲をやる別なヤツでもいいわけだよ。そんな大してメリットもないのにだ、こっちは無理矢理過去モードに引き戻され、自分が聴いてた当時の状況に陥らせられる。

もうひとつ嫌なのは、それを求めてくる奴らが過去のまま変わろうとしないところにある。オマエラいつまで70年代やねん??そんなん聴きたいんやったらナツメロロックバーでも行けや、みたいな気分になる*2


自分はマニアック街道まっしぐらな人間だが、同じ場所にいつまでも留まってることが嫌いで、ひとつのアーティストをとことんしゃぶりつくすと次に進んでしまう。つまり例に出したビートルズにせよ何にせよ、恐ろしくマニアックなことを今でも知っているが、しかし通り過ぎたことである。とっくに卒業してるのだ。卒業ってことはちゃんと身に付いたから卒業できるのであり、いつまでもそこに留まるってことは身に付いてないってことである。


別にビーtpルズに限らずオレは多数のアーティストをしゃぶり尽くし卒業した。そうして今の立場がある。もちろんたまには戻ってみると新しい発見もあるが、大概はノスタルジーにすぎない。


オリジナリティというものは全てが身に付いた段階で生まれるもので、身に付かない状態で真似をしても付け焼刃であるし、それはただのパクリである。今はリスペクトと言う便利な言葉があるが、あえてパクリとリスペクトの違いを述べるなら、それは付け焼刃かそうでないか、じゃないかな。


馴染みがいいから、っつってライブでカバー曲歌ってる人がいたら、それを今敢えて排除することを提案したい。カバー歌ってる限りは、そいつの歴史を越えられないからね。

いかがでしょう?
実にスッキリすると思うよ。

*1:というか有名無名に限らず自分が気に入った曲しかやらないのでそうなる

*2:おっさんはね、オレを彼自身のアイデンティティ証明に利用するんだよ。こういうのが良い、判る自分が偉い、ってね

そんな通例あるかよっ!…あったかもスマソorz


http://blog.crypton.co.jp/mp/2007/12/post_61.html
http://blog.crypton.co.jp/mp/2007/12/2_3.html
ドワンゴとクリプトンの「会社の品格」が見えてきているわけだが - たけいの日記


あまりの酷さに、上記エントリの各ブクマコメで「そんな通例ねえよっ!!」と切れまくったわけです。


その後落ち着いて考えてみると。あったかもしれません。はい。すいません。


あのですね。思い返すと確かにやり取りの時間軸の順番としては「許諾vs使用」が入れ替わってることもあったです。でもですね、みなさんとってもしっかりしてらしてですね。そんなことを微塵にも感じさせないんですよ。こちらもですね。呈示された条件やら逐一確認してちゃんと理解して返事してますし、疑問点は質問しますし、もし万が一まずいことでもやろうものなら大問題…ではないにしても小問題くらいにはなる業界ですし、すごく信頼度が高かったんですよね。はい。自分は恵まれておりました。そうこうするうちに自分自身もですね。少しずつ大人になり、舐められないような年代になりましてね、こんな人は怖くて騙せないでしょう、みたいな人になってしまったので今も大丈夫なんですね。多分ね。はは…。


それにしてもですね。上記のうちのどれかのブクマでありましたが、「この屯田兵やろう!」ってのは、飲んでたコカコーラゼロを吹きましたです。かつて彼の地に居たことのある身と致しましては、本当にそうです。しっかりしろボケが、です*1。マジ屯田兵トホホです。秋アジ*2の取引で倭人に騙されたネイティヴ蝦夷ィアンとまったく変わっていないじゃないすか、と。ぞぞぞと寒気が致します。


ミクたんがみんなの人生を変えてしまいました。

それでもミクたんは健気に歌うのですね。

まるで星新一のボッコちゃんみたいですね。

*1:エールです

*2:

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神聖なる自分の領域


両親やクラスメイト、教師から疎んじられ、どこにも居場所が無かった10代の頃。周りの全てを「薄汚いインチキな世界」と信じ、必死に自分だけの世界をつくり、そこに逃げ込むことでなんとか自分を保って生き抜いた。それは主に音楽であったが、それだけではない。いろんな本、アイドルの写真、自分で描いたヘタクソなマンガ、自己満足な評論もどきの自筆散文、好きな子にもらったメモ書き…。

オレはそれらを「神聖にて侵すべからず」と考え、他のどうでもいいモノたちとは決して混ぜたりしなかった。親に貰った本とかを横に並べることすら汚らわしいと感じ、それを触れた同じ手で触れることも避けた。インド人ではないが、自分のものと、他の人の物は、触れる手の左右を完全に使い分けた。

自分自身の脳内でも、それらははっきりと隔離して考えた。たとえば親や教師のことを思い浮かべ、その後「好きな子」のことを思い浮かべようとする時、その間に必ず例えば「好きな曲」などのことを想像するようにし、そういうことを間に挟むことで、直接繋がることを極力回避した。一瞬でも混ざり合えば、ものすごく汚れるような気がした。

そういう思考は社会人になってからも続き、たとえばバイトのシフト表などと、音楽の歌詞カードなどとは決して一緒にしなかったし、バッグやかばんの中でも、しっかり収納場所を分けた。仕事で使うペンと音楽に関してのメモを書くペンは分けていたし、人格や言葉使いも意図的に変えた。職場で同僚が使った書類やらを触ったその手で、大切なCDを触るとかもやらなかった。両者を混ぜることは決してしてはいけないことだ、と。徹底していたのだ。


Winnyなどで企業データやら不倫写真やらが流出した時に思ったのは「仕事で使うデータと自分の彼女とのデート写真を一緒にしてることが、まず自分的にありえない!」だった。なんで一緒くたにしてるのか??パソコン本体がわけられなきゃ、ドライブでもいい。同じ領域に置いていることがまず考えられない。

そして「この人たちはまったく違う人種なんだ」と理解した。


最近どこかで、日本人の近代の道徳心は国の替わりに企業が教えていた、という話を読んだ*1。確かにその通りだなと思わせる説得力があってなるほどと思ったものの、もしこれらが本当だったらオレは生きてはいけなかったな、とも思った。公私の隔てがほとんどなく、何から何まで企業に面倒見てもらう。素晴らしい安定生活だが「神聖なる自分の領域」を守るのは非常に難しいだろう。

炭鉱みたいな鉱物掘る街や、造船みたいな財閥城下町みたいなところでは、そういう傾向があったんじゃないかと思う。某車メーカーの勉強会みたいのもそうだけど、「滅私」という世界で自分が生き抜ける自信はない。

以前書いたようにうちは公務員一家だったが、福利厚生は充実してたものの別に仕事べったり染められてたわけではない記憶がある。少なくとも雇い主を神扱いなどすることとは無縁だった。そこらへんに自分が逃げ延びられた理由があった気がする。

*1:リンク探せなかった