告発のゆくえ


と言うことで久々に書いてみようと思うけど、とは言っても書けることはあまりないんだけども、というのは実はこちとら裁判中なんだよね。そう言う話はいろいろ聞くけども、ほかならぬ自分自身がそう言う立場になるとは思ってもみなかったよ。


まえにツイッターで少し触れたんだけど、ものを作ったりする人って言うのは、ちょっとどこか抜けてたりお人好しだったりする人も多くて、契約関係やらで揉めることも多いんじゃないかと思う。そう言うのフォローする体制が整ってれば良いんだろうけど、フリーでやってる人はなかなかそうも行かない。それでも、業界内の各先輩やら同僚にまだ聴けるだけましな環境とは言えるかもしれない。


そんでだいたい80パーセントくらいの人からは「確かに大変だったし悔しいでしょう。しかしここは良い経験だと思って、すっぱり次へと進みましょう」みたいな前向きなアドバイスをもらうことも多い。また実際、そんな法的手続きやら書面書きやらで手間取って、肝心の創作活動がおろそかになるんじゃねえ?みたいなことも良く聴く。しかし、それも実際に自分が渦中に巻き込まれてみると、そんなこんなで必死に脳内活性化していろいろやってるうち、冴えて来るみたいな、ランナーズハイみたいな感じになってくるのが、なんだかおもしろかった。とは言っても時間を取られてるのは事実なわけだし、そこら辺は適度にしとかなきゃね、とは思う。


今回の騒動なんだけど、簡単に書いておくと、以前から取引のあった会社があった→うちの会社大変なので社員になってくれない?→いや遠すぎますから何か条件とか?→それじゃあ社宅みたいな形で家を貸しましょう→しょうがない、じゃあとりあえず行くね→会社詐欺破産&新会社に名義変更→会社なくなったから家出ろ&今までの家賃払え→あっそう、じゃあ前に仕事した分のこっちの債権と相殺ね→いえできません。別の会社なので。ほらね(と登記簿見せられ)→あほか、どう見ても同じ会社じゃん。ふざけないでさっさと相殺しる!→できません。払わないなら法的処置→裁判←イマココ。


とまあ、なんだかくだらんと思いつつも、おれも世間知らずなんで良くわからないんだけど、100歩譲って騙されてるオレがバカだとしても、このジャイアンな奴らを放っておけるかっていうところなわけだね。


今回の件でいろんな人に相談したんだけど、特別背任とか詐欺破産で告発するってのは並大抵のことじゃないらしい。それに人は正義だけじゃ動かない。勝算なきゃ弁護士も着手もしないし、警察もダメ。あげくはこっちだけ空気読めない人扱いで村八分みたいな結末になりかねない。狭い町だからねえ。


知人友人はみんな東京戻って来いやーみたいに言ってくれるけど、ここはもう少しこれをなんとかしてから最低でもその後の身の振り方考えようと思う。とりあえずレーベルも作ったことだし、良い作品さえ生んでればなんとかなるような気もする。


などと、この期に及んでまだそんなのんきなことを言う。さすが公務員が両親の一家に生まれた人間である。(自画自賛w)

明るい未来


引き篭もりなり苛められっこなり、そういう現状を耐えてこられたのは、そこを頑張って耐えてれば、いつかトンネルをスポッと抜けるように、現実が変る筈、と特に根拠もなく信じ込んでたところがあるからだ。

特に根拠もなく、と今書いたけども、実は「オレは本当は天才だからさ」というような妙な勘違いっつか自惚れみたいなものも根底にあったとは思う。それは例えば、明らかな社会不適合者であるところのジョンレノン氏とかそういう人々が、うまく生きる世界を見つけて生き抜いていったことが根拠になってるのだけど、よく考えれば、自分もレノンと同じだから、などという考えは、そもそもどこから生まれたのか、それも気になるよな。


自分の頭の中では常に素晴らしい映像やら音やら文章やらが浮かんでいた。ただ単にアウトプットしていないだけで、実は自分も天才なのだ、と思い込んでたところはある。しかし実際に天才と言われる人々は、ちゃんとアウトプットしてるからこその天才呼ばわりなんだよね。そこを間違っちゃ困る。つまり、想像上なら恐らく誰しもが天才なのだ。しかし一般的に天才と認められるのは、アウトプットが伴った人間のみなのだ。


初代ウルトラマンで、路上に書いた落書きが宇宙線かなにかで実物の怪獣になるってのがあったが、そんなものでもない限り、頭の中の想像上の創作物は形になることはない。イコール、人にも認められることはない。他人の頭の中身を判れって言ったって、そんなの普通じゃ無理だ。


だがしかし、恐ろしいことに、真の天才*1は、脳内だけの天才のことも判ってしまう。会った瞬間、こいつは何もしていないが実は脳内創作物はすごいとか自負してて自分は天才とか思ってるな、とか見抜いてしまうのだ。それは何故かというと、実はかつての自分もそうだったからに他ならない。


脳内完結を経てアウトプットの術を何とか発見し、訓練の後、人々に認められる。


これがバーチャルではないリアルってことなのだ。



明るい未来を頭の中で想像してる。その姿が明確に見えるなら、勝ったも同然じゃん。実際やってみればいい。


問題なのはそれすら浮かばない人たちだろうね。どうすりゃいいんだろう。オレにもわからん。

*1:アウトプットが伴ってる奴

スヌーピーの犬小屋的なあれ


最近いろんな人といろんな交渉とかしてるんだけど、目に見えてる部分だけ相手にしてると思ったら、それはまずいっていうか、大怪我の元って気がする。おそらく、その交渉やら会話の裏では、想像以上にいろんな人がその情報を得たりして、交渉当人に意見したり知恵授けたりしてるわけで、相手がまったく単独でやってるなんて、殆ど無いんじゃないか。


とかく人って言うのは第一印象で判断しがちなんだけど、勿論それはオレの信条として、「人は第一印象である」、なんだけど、その裏に見えるものすべてしっかり見極めたうえでの、「ああ、だからこんな第一印象ね。」みたいな判断なわけで、たとえばこないだのキモイ論争にしても、キモイとか一言で言い切る奴の、その逆な意味での潔さってのも変だけど、その価値観は逆におもしろいと思ったり、こいつがいまこう切り捨てたのは裏に何があるか、みたいなこといろいろ想像とかするのって楽しいじゃん。

そういうの、ただ腹立つからとか、こういう人間はどうかとおもう、みたいに決め付けると、なんだかそいつの人生もそれまでみたいな、エンジンのリミッタみたいな、もったいない寸止め感があるんだよね。


まあオレの場合、あらゆる事がネタになる商売なわけだから、そう思うんだろうケド、細かい事でいちいち腹立てる時期っつか、年代は既に通り過ぎちまったってのもあるだろうけど、まぁともかく、人っていうのは面白いもんだ。


こんな事思ったのは、実は業界のすごい狭さみたいなのって時々忘れそうになるんだけど、ともかく悪い事するとその噂は光より速く隅々まで到達するもので、それ忘れると大変な事になる、ってことだよね。そういう意味じゃムラ社会なんだろうな。もう一個同じ規模の業界があれば、こんなことにはならないんだろうケドね。


などと雑文を書いてみたわけだ。

日常


ここの日記を、というか正確には裏ブログ第2章を開始して1年余り経った。これの前に書いてた、所謂「第1章」とやらも、事情により音楽活動できなかった期間であったが、そういう意味ではこちらの第2章もそういった事情が有ったと言えば、まあ有ったのだ。


ちらちらとここで書いていたので御察しの方もいらっしゃると思うけど、つまり会社がいろいろとトラブルなど起こり事業が立ち行かなくなり、かと言って諸事情ですぐに離れるわけにも行かず、なんとも言えない飼い殺しというか中途半端な状態に置かれていたのだ。


幸いトラブル勃発の直前に様々な作業の種を蒔いておいたので、「浪人」中もそれらをこなす事でなんとか作業的には進める事ができたが、ともかく不快な日々だった事は確かだ*1


最近はすっかりツイッターで独り言を吐くようになり、こちらは手薄になった。ツイッターを始めたときは、こうなる事はまったく予想していなかったのだが、現在は殆ど音楽活動の報告みたいになっている。つまり、本来ならば裏ブログで書くべき話題ではないもの*2を、同じアカウントネームのツイッターのほうでは、ごく普通に書いているということである。この矛盾はいったい何?と自分でも思うが、流れでそうなってしまったとしか言えない。それらログを見た方は、随分こっちのキャラとは違うと思うかもしれない。呆れてRSSリーダから外してしまった方もいらっしゃるだろう。実際当ブログのアクセス数も減少の一途をたどる。数字は正直なものだ。


まあしかし、どっちも自分なので言い訳もしない。ただ言いたいのは、ツイッターを読むと判るように、昨年まで続いたごたごたも転居等を期に収束し始め、現在は最終決着を待つばかり。と同時に滞っていた音楽的作業も仕事も徐々に進み始め、つまり、「裏ブログ」としては、また休息時期に入ってきている、ということ。ただ、前回のようにすっかり息を潜めるのは、こちらで知り合った様々な方々に不義理をするようで、今回はさすがにできないと感じていて、だからこそ、こちらもツイッターも同アカウントで辛うじて繋がせていただいている。


今後こちらで書く事があるとすれば、その会社との顛末だろう。その辺はこれからが佳境だ。そういう意味では、なんとなくわくわくしている。

*1:別れ方が簡単でなかったのは実は個人的に「弱み」を握られていたからなのだ。それも実に姑息なやり方で。いつか書きたい。

*2:個人的にそういう線引きをしていたもの

歌なんだから語りかけるな。


これはもう昔からのオレの個人的趣味なので、しょうがないので許してほしいんだけど、ともかく、歌とか音楽というのは、歌や音楽である以上、音楽として成り立たなければ存在の意味がないと考えている。


だから、語りかけるように歌う、とか、言葉が染み渡る、とか、そういうジャンルの音楽(って言えるのか?)が大嫌いだ。よくいるでしょう。どっかの田舎に行って大自然の中でアコギで歌ったりする人*1


たとえば歌を歌っている人に対して、詩がいいとか言葉がいい、という褒め言葉は、それはイコール曲はつまらない、と言われてるのと同義だと捉えるべきなのだ。そんな褒め言葉は文芸の分野なんであって、オレにとっては音楽に対する褒め言葉ではない。

そういう事を重視するなら、例えばトラックだけ流して朗読とかラップにすればいいだろうと思う。その言葉にメロディが付いてる理由を考えてほしいのだ。歌というのは総合芸術。言葉とメロディと和声進行による感情の動きが、すべて見事にリンクしたときにだけ起こる相乗効果のリアリティ。そのどれが欠落しても音楽とはいえない。


音楽を創っている、と自負するならば、言葉に費やす時間とエネルギーを、ちゃんとメロディと和声進行のほうにも費やせ、サボるな、と言いたい。そうしてサボった結果、完成度の低い楽曲になってもそれ自体は自己責任でしょうがないけど、それを持って歩いて、路上だの慰問だので、弱者に媚びたり押し売りするなと言いたい。

アーティストみたいな人を見慣れていない、そういった音楽弱者な人々は、目の前で目を見つめられながら「語りかけられる」ように歌われると、「素敵…」って騙されてしまうだろうが。極めて卑劣なやり方だ。


なぜここまで厳しい事を書くかというと、それは、その手の方々が絶対に手を抜いていると確信するからである。何度でも書くが、これは「音楽」なのである。朗読ではない。歌詞に費やすのと同じだけの努力と時間を、音のほうになぜ割かなかったのか。それができないのなら、なぜコラボレーションなり共作者を見つける努力をしなかったのか。それはメロとか音楽というものを舐めてるのではないか。適当に音程の高低が付いていて、あとはパフォーマンスや歌声でごまかせば、楽曲「風」なものになるだろう、的な傲慢さがなかったか?

そういうことは中高生にのみ許される事であって、いい年をした大人のやることではない。音楽と言うのは、そういった傲慢な人を惹きたてるための道具ではない。そういう行為を日々犯しながら、「音楽とは音を楽しむ事だ」などと詭弁をほざく人は、全員音楽の前にひれ伏すべきだ。

*1:一応断っておくけど、そのジャンルでもプロの人はちゃんと、それなりの完成度あります。

unloved


よくよく落ち着いて考えれば例えばオレなんか、ネットのほかの人たちに比べれば破格に愛されてるはずなのに、なんで自分は全然愛されてないって感じるのだろうか。


それはたとえば。


B → オレ → A


みたいなベクトルになってるからだろう。Bはオレの音楽とか気に入ってくれたり、なんかオレの中に見出して好きになってくれてる人。でも自分はAのほうを見てるわけ。いくらB群の人に好かれても認められても、自分としてはA群の人に見られて認められて好かれなければ意味がないと考えてる。


実は以前、似たような事をここで書いてるんだ。

http://d.hatena.ne.jp/mrcms/20070907/1189145713
http://d.hatena.ne.jp/mrcms/20070907/1189152196


元々、人に愛される事が少なかったオレは、B群の人にちょっと人気が出始めた頃、嬉しくて調子に乗ってしまい、それまではAのほうを向いて頑張ってたのに、B群の人たちのほうに向き直ってしまったのだ。そしてB群の人たちに向けていろんなことを発信してるうち、すっかり落ちぶれてしまったというわけ。


その辺の事を書いたのが以下のエントリでしたね。
http://d.hatena.ne.jp/mrcms/20070728/1185581926


それで教訓だったのは、B群の人にいくら愛されても呼ばれても、振り向いたりしてはいけないってこと。しっかりとA群を見つめて進んでいかなければならない。B群の人たちも、Aを見つめて進んでるオレのことが好きなのだ。自分たちのほうに向き直る人なんて魅力などないのだから。

だからね。余談ですが、そういうAに向かって強く進んでた人がさ、なんか最近、B群のほうに向き直ってるなって感じたら、その人はちょっと疲れてるかもよ。周りにそういう人居ないですか、そうですか。


ということで、もう判ったと思うけど、これはAの人にも言えるのね。いくらオレが必死に、振り向いてくれ!愛してくれっ!て叫んでも、A群の人がこっちに向き直ってはダメ。それは「ゲィムオーヴァー」なんだよ。Aの人も、A足りうる為には前を向いてなきゃいけない。


愛されていない、と感じ続けるのは非常に苦しくつらい。しかし、Aに振り向かれて受け入れられるのは困る。だからオレの「愛されたい渇望」も一生満たされる事はない。


しかし、それでいいのだ。

表現者の生命力


昨日のエントリで、音楽が自分の本能だと心より認識した後、ちゃんと生きようと決心するようになったと書いた。それは、ほかでもない、この自分自身の身体が商売道具であり売り物であると認識した結果でもある。


それまでも少しその気配はあったのだが、オレはなぜかオバサマに人気があった*1。オレの分析はまずそこから始めた。オバサマがオレの中にみる魅力というものを自分なりに分析し、まず外見をその方向性に徹底する。そうしてそれを拡大し、下の世代、同姓にまで広げて行くよう心がけた。もちろんそれは音楽性もそうだ。自分の各作品の中にある、もっとも映える魅力の部分をしっかり分析し、そこをさりげなくフィーチャリングするよう心がけた。


そして前回書いたように、いつ何時どんな依頼があっても困らないように、部屋の環境、健康維持、体調管理などもろもろ徹底した。どんなときでも「最高にかっこいいオレ」であること、そうやって生き続ける事を至上の命題とした。

全部誰かのためではない。自分自身のためだ。そうすることによって人気を得て、人々に認めてもらうことが最高に気分良かったからそうしたのだ。

そうして少しずつオファーなどが来るようになり、いろんな人が適切な意見を言ってくれるようになる。そうして、その人たちが言ってくれる自分の魅力データの蓄積がますます増え、その後の行動がとりやすくなった。

ちょっとずれるけど、オレにとってすごく意外だったのが「あなたは声が良いねー」という意見だった。それまでの人生でオレは自分の声*2を貶されてばかりいて、周りの人も一度も褒めてくれた事がなかった。それゆえ、自分は歌は好きだが、歌で仕事する事は無理だろう、だから作家とかアレンジャーになるしかないな、と思っていた。それなのに、だ。ある時期以降、特に「業界」の方々は「声が良いんだよ」と口々に言うのだ。これは本当に物凄くびっくりしたしショックでもあった。

人は自分のことを知ってるつもりでも、全然知らないんだなあ、と。そして、ごく若い頃の心無い意見は確かに傷つくけど、そんなの一過性のものだ、と。広い世界に出れば、全然ありえないような自分の「売り」を発見してくれる人などたくさん居るってことなんである。

そんなんで、今のオレは、そうした周りの方々に生かされているとも言える*3。そうでなかったら、とっくの昔にメタボ路上生活者とかになって朽ち果てていたのではないだろうか。



どちらも今へヴィーリスナーではないけど、以前オレが好きだったアーティストにビートルズビーチボーイズが居る。どちらのグループも、オリジナルメンバーのうち2名は亡くなっている。オレはこの生き残ったメンバーの中に「強い生命力」というものを見る。

例えばビーチボーイズのブライアンウィルソンはどうだ?彼なんか、メンバーの中では一番最初に死にそうだったのに、結局ウィルソン兄弟のなかで最後まで生き残ってしまった。ポールマッカートニーなんか見るからに絶倫で生命力強そうだし。対してジョージハリスンのほうは、最後までなんだか頼りない弟のままだった*4。まぁジョンレノンは射殺だったのでなんとも言えないが、今生きてたとしたらマッカートニーとどっちが元気だったか、興味はあるね。


そんな現実と生命力の残酷さを、早々に*5見せ付けられたのが、例のストーンズのブライアンジョーンズだろう。元々結成者でリーダーだったのに、その座をジャガーに取られ、恋人も取られ、バンド内での居場所もなくなった。ロックンロールサーカスでのお客さんぶりは、本当に観るたび辛くなるばかりだ。一般的には、ゴダールの映画の中でのブライアンのことをそう見ることが多いけど、オレは真に残酷なのはロックンロールサーカスだと思う。あの大勢の仲間の中で明らかに一人だけ「お客さん」だとわかるからだ。


誤解を覚悟で言うと、何かの表現者が、すべてを言い尽くしたとき、生命力というものが潰えるような気がしてる*6。ジョーンズのほうのブライアンも、例えば地味辺やシドヴィシャスといった人たちも、もし生きてたらどんな作品を産んだだろう、というIFみたいな興味はわくけども、実際にあれ以上何かの作品を産んだ、という想像はしにくいのだ。ハリスンにしても、過去ログのリマスターが残っていたし、それに付随する回顧録とか残した仕事はある。しかし新譜をあれ以上残すとは思えなかったし、リスナーもそれを望んでいなかった気がする。あちこちのセッションに顔を出しつつ優雅で楽しい余生、それがハリスンのイメージだった。



今回のインスパイアもとはこちらだ。
404 Blog Not Found:バイキング式のレストランで給仕を待つ君たちへ
今回のエントリに関連して言えば、つまり、生きようと思わなければ、そこにある食い物も食おうとは思わないってことだ。

前回書いたように、様々な障害があって物事に集中する事が本当に難しかったオレは、何かの最中に「ええーい!もういいわっ」と投げ出す事がとても多かった。そして、生きること自体に対してもそう思うのは時間の問題だったと思うのだ。それが、「自分は音楽で生かされている」と気付かされたとき、むくむくと「生きたい」という欲望というか本来の本能が目覚めてきたのだ。


喫煙者は緩慢な自殺をしている、という言い回しがあるけど、まあその言葉の是非はおいておいて、生きたいと思ってない人はみんな「緩慢な自殺」を望んでるんじゃないのかな。もちろんオレもそうだった。さっさと人生過ぎてくれって思ってた。「今は死ねない」と思ってから、初めてその為に動き出すのだ。

*1:その前兆がこんなところにw http://d.hatena.ne.jp/mrcms/20071126/1196037133

*2:歌じゃない。声。うまいし音域も広い、でも声が嫌い、と言われ続けてきたのだorz

*3:今のオレは体型と体調と声の維持を至上命題として生きている

*4:貶してるわけではない。反論無用

*5:ロック創世記で一番最初に亡くなった有名人が彼じゃないか、と。

*6:自殺を除く。自殺っていうのはまた何かの表現なんじゃないかという気もする。