集中できない体質。


子供の頃から何かと過敏症で、ともかく物事に集中できなかった。


夏は汗疹。ちょっとでも出るともう痒いわけ。アトピーではないけど、そういう人の気持ちが夏だけはわかる。冬は冬でリアル毛糸のニットとか着ると触れてる肌の部分が、ちくちくしてともかく痒い。タートルとか着ると、首の部分をずっと引っ張って延ばしてたりしてた。あとは、ベルトとかゴムとか、締め付ける部分ね。あれも痒いね。


あとは通年で鼻炎。ともかく鼻水が出るわけだ。ティッシュ突っ込んでいたい気分。鼻用のタンポンとかなんでないのかね?って思うくらい。そんでクシャミ。昔は目立とうと思ってわざとでかい声でくしゃみしてた事もある。ストレス解消。いまはそんな、おっさんくさい事はしない。

それで気管支喘息も持ってる。これは通年ではないんだけど、季節の変わり目とか、部屋が変わったり、人の家訪ねてそこの環境やらハウスダスト環境によっては、出る事もある。

喘息の人は良く判ると思うが、本当に苦しい。でもおとなしくしてると、何とか普通にしてられる。それがまた他人には「具合悪いと言っていながら元気そうじゃん」ということになり、その疑いの目がすごく嫌だ。

この喘息の発作はいつおきるか判らない。だから、毎日ひやひやしながら生きていた。気分的にすごく落ち着かない。


ということで、勉強でも図工とかでも、とにかく集中できないのよ。何かに打ち込む、ってことは、オレにとってはものすっごくハードルの高い事だった。

だってさ、作業してれば鼻水ズルーだぜ?ほんで身体中なんだか痒い。おまけに近所のやつが騒いでバタバタホコリとか立ててみろ?それ喘息フラグですから。

それで修学旅行とか合宿とかあるじゃん。あれがもうとてつもなく怖い。どうか世界中の神様、喘息だけはご勘弁を。と祈っても出るものは出る。泊まった翌朝、起きて呼吸を確認し、喘息になっていなかったときの、もう天にものぼる気持ちは、ほかの人には理解できないだろう。


そういうわけで、ともかく集中力は5分くらいしか続かないような子供だったのだが、それでもそのハードルを越えて集中できたもの。それが音楽だったというわけですな*1

なので、オレとしては、それが自分の本能なのだと理解し、そこに生きる道を求めたということだ。


音楽の道に入っても大変だったけどね。でもそこに人生かけてみるか、という気概が生まれたので、今までの経験から、どのような状況で、痒いだの喘息だの発生しやすかったか、綿密に自己分析し、なるべく回避できるよう対処するようになった。つまり、目的がはっきりしたので、ちゃんと生きようかな、とそこではじめて思ったということである。


それでおもしろかったのは、例えば知人に「夏って汗かくからアセモでない?困るよね」と聴いたりすると、ちゃんと答えが返ってくることだった。たとえば「きみは本当にばかだな。こまめに拭いたりするんだよ」とかね。

ほかにも「おまえ、あったかい部屋とか寒い戸外とか環境変わっても、服脱いだり着たりしないよな、それじゃ風邪引くだろ?」と言われた事もある。


生まれてから長年悩ませ続けた、体質問題の解決法がこんな簡単な場所に潜んでたのだ。これらが常識と思ってた人には、なんていうゆとりなんだ?って思うかもしれないが、だが、オレはそういうことを教わってなかった。

というか、教わってたのかもしれないけど、ともかく親とか大人が嫌いだったので、言われてても無視してたんだろうと思う。「ふんっ」って感じで。


結局、結果には原因がある、全面解決できなくとも、可能な限り回避する事ってできるんだなあ。と。すっごく大人になってから知ったのだった。

*1:厳密にはもう一個ある。女の子捜しw

泣き落とし却下


つぃったでぶつぶつ書いてても埒が明かないし、どうにも腹の虫が収まらないので書いておくことにした。


いろんな仕事を請け負って人にも振っておきながら、いざとなると自分アピールに夢中になり、周りを放置するというアーティスト兼ディレクターの話を以前書いた


実は、去年のそのラジオ収録のあと、レコーディングとプロデュースをお願いできないか、と彼の知人を紹介されていた。話を聞くとその知人、特にライブ活動などはやっていなかったが、密かに曲を創り貯めており、聴いたところなかなか良い曲だったので、是非アルバムを創ろう!と彼のほうから声をかけたということだ。


まあそれは仕事の紹介ということでよかったが、その後の詳細打ち合わせから問題が起こる。まず予算が破格に少ないのだ。

「いやいや、いくらなんでもそれは勘弁してくださいよ」と当然オレは言った。すると「実は…」と彼が話し出す。

「あの人はある病気のため余命を宣告されているのです…」「自分も最初は、その予算は困ると言った。しかし病気のことを聴き、断れなかった」と。


これはもう最低のパターンであった。泣き落とし。最悪のパターン。個人的に、仕事に「泣き落とし」を持ち込まれるくらい冷めることはない。ホントにやる気なくす。「はぁ?なにそれ」ってマジで思う。冷酷と言われようがなんだろうが、ともかく嫌い。そんな情なんかで仕事できるかよってんだ。


そんでもう半分呆れて放置してたら、その後連絡があって「では1曲だけをその値段でやっていただけませんか?残り(その時点で5曲あった)は自分がやりますから」と。それでも「泣き落とし」の違和感はどうにも拭えなかったけど、まあそれならいいか、と多少気分を持ち直し、仕事にかかった。


そうして先日デモを持って打ち合わせに。「アレンジ3種類*1ありますから、依頼主に好きなアレンジを選んで貰ってください」と言うと「実は」と。


きたきたきたー。彼の「実は…」程怖いものはない。


で、その「実は」の内容。なんと、自身のアーティストとしての活動が忙しくなったので、こっちをやる時間がなくなった、つきましては残りも全部やってもらえませんか?と。で、予算聴いたら、まあできない額でもないけど、それで自分忙しいのに、レコーディングすんで、その音源どうするのって聞いたら、もちろんCDにするようにしますから、と。

するようにします、じゃねえよ、「します!」って言えよ。オレの仕事、倉庫の過去ログ扱いするつもりかよ。そんで自分はプロモーション回って楽しい思いかよ。

そんで更に話を聴くと、今回のレコーディングで参加予定だったミュージシャンの方々も、全部自分のプロジェクトに持っていく、と。だからオレのほうは何とかひとりでやってくれ、って・・・。

つまり面倒な事、全部こっちに押し付けて行こうとしてる訳ですよ。そんでバックには「泣き落とし*2」が控えてて、同義的に断れないわけですよ。


その話おわったあと、オレはもうどうにもこうにもハラワタ煮えくり返って収まらなくて、自分は何か悪い事したのかね、とか思って。


今週もう一度この件詰める。どうやったらお互い最良な形で着地できるか。いわゆるあれか。ウィンウィンの関係ってやつだなw


ともかくあれだ。時と場合にも寄るけど、基本的に仕事上での泣き落としだけはマジでやめてほしい。特に親密じゃないときとか、引く人多いと思うし*3。気をつけたほうがいいです。

*1:この件も大変だった。依頼主と直接話せなかったので、彼のイメージで伝えられたアレンジを最初施したところ、ダメだしを食らう。はぁ?となって、そんで改めてイメージ聞いたら最初に言ってたのと全然違うじゃん!orz で、もうしょうがないから、次の時には最初から3種類持っていったのだ。

*2:病気のことは本当らしいけど

*3:オレの知人で、そう言われて「そうですか、私もそのギャラでは余命半年になってしまうのでお請けできません」と答えた人が居る。すごい。

ナイスな壁越え


恥ずかしいエントリシリーズその2(その1はこっち)。別に隊長の影響ではないけど。


オレが壁を越えられなかった、もう一つの大きな理由。実はその時の彼女さんが未経験だったからなのだ。


自分を解放できず、恥ずかしい姿や顔を相手に見せてしまうことができない。それは裏返すと、自分に自信がない、とも言えるのだが、もう一つ躊躇していた大きな理由が「自分が今、この相手としてしまうと、彼女にとって自分が初めての相手になってしまうではないか」ってこと。

つまり「人生初」が、「こ、こ、このオレで良いわけで?」ってことなのだよ。


「オレが初?」
「マジでいいのか?」
「いやいや、そんなのダメだろ」
「もっとちゃんとした、かっこいい人とかにしろよ」


とね。ほんとマジでこれはずーーっと悩んでいた。その二つが自分にとっての、壁を越えて解放されるための2大試練だったのだ。


相手に、生きてて最も情けない「逝く顔」を見せること、それは別に恥ずかしいことでもない、むしろ二人でそうなることは当たり前のことなのだ、という価値観を村西とおる監督から教わった、と前回書いた。

自分という立場で考えれば「情けない」「恥ずかしい」となる。しかし相手はどうだ?

相手の女性は「情けな」くて「恥ずかし」くはないのか?オレは実は常に自分を基準として考えていたのだった。

そして壁越えだって同じだ。「彼女にとってオレが初かよ…」は、即ちイコール、彼女だって「あなたにとって私が初でいいの?」なのだ。


そんな基本的なことも、気づかず過ごしていたんだわ…*1


その後のことはここで語らなくても良いだろう。オレは彼女に、それまでの気持ちや村西監督のこと、自分の考えを、彼女に素直に伝え、彼女も納得した。


そろそろ読む方も書く方も恥ずかしくなってきたな。これくらいにしておく。



せっかくなので、オレが何を言いたかったのか、自分のブクマを引用しつつ、追記っぽく補足してみる。

まずこれ。
http://plaisir.genxx.com/?p=194
このブクマ、
はてなブックマーク - 独身女性の性交哲学 / 山口みずか - plaisir.genxx.com
でみんないろいろ語っているけど、村西氏のAVがそうだったように、やっぱりその瞬間を手抜きするものには幸せも訪れないってことなのだ。

前回のエントリで、わざとらしく「愛」と何度も記述した。現在「愛」というのは何か美しいものとか神聖なものとかとらえられてるフシがある。しかしオレは少し違う考えを持っている。この場合の「愛」は刹那的なものだ。だからこそ信じられるのだ。刹那的で少しでも油断すると、スルッとすり抜けて消えてしまう。だから真剣にしなければいけないのだ。もっともっとしっかりと確認して捉えて抱きしめて掴んでおかなければならない。そうして感覚を掴めばこそ、他のあらゆることにそれが応用できるのだから。その最中だけは決して手を抜いてはいけない。

最も基本的な人間同士の疎通。それが性行為である。


あとこれ。
http://d.hatena.ne.jp/hashigotan/20071213/p1
彼女に対してはいろんな人がいろんなこと言ってるのでオレは言う必要がないな。この彼女のエントリには心から同意できた、とだけ言っておく(オレのブクマコメが奇しくも前回エントリと共通)。


そして最後はこれ。
http://news.livedoor.com/article/detail/3419929/

村西監督もそうだが、出会いがなければあの展開はあり得なかった。例えば黒木香嬢。彼女が自己をとことん解放し、村西監督を、ひいては視聴者を煽ったからこそ、現在のこのAV状況がある。これは「セッション」なのだ。村西監督も黒木嬢も、一切手抜きなしのガチンコ勝負だった。だったからこそ、オレたちは全員感動した。

本気な人間だけが見せる刹那的な美。それを「紅音ほたる」さんも持っている。彼女が解放されて居るとき、それを鑑賞するオレたちも自己解放してることに気づけば、あとは、それを応用して実践するだけだ。


他にもオレのブクマの「対」カテゴリでも、いろいろ関連記事を読むことができる。


オレの当ブログにあるカテゴリ「対」は、人間は対で居て然るべき、ということから名付けた。もちろん音楽も同じなのだ。単体で独立しているものなどありえない。すべては関連性でありデジャヴなのだ。

*1:悲しいほどお天気の歌詞

ナイスな自己解放


いつか書きたい書きたいと思っていたがなかなか機会がなかった。今日こそは何とか書いてみるぞ。纏まらなかったら許せ。


以前こんなエントリを書いた。オレは誰に対しても心を簡単には開かなかった。だからこそ音楽もセッションも他人とはできなかったのであり、即ち宅禄オタク化した理由でもある。


セッションをよくセックスに例える奴が居るが、オレはそんな安易な例えは嫌いだ。と言いながら今回それに関して書いてしまう。ちょっと悔しい。笑。


ということでさ、心を他人に対して開けないってことはセックスもできないのである。というのは自分にとって逝く瞬間というのは人生最悪の情けない状態であり、その時の顔も人生最悪の情けない顔だと思ってたからだ。そんな姿を見せることは最高に恥ずかしくカッコの悪いことだと思っていた。

だから自分さえ気持ちよければそれで良かったし、相手のことなどほとんど考えなかった。


そんな自分の考えを180度変えたもの、それが「村西とおる」氏のAVだったのである*1

それまでのAVというのは何処かインチキくさく、三流の映画やドラマモドキなものも多かった。別にそんなストーリーなどどうでも良いというのに、学芸会レベルの映像が延々と続くものもあった。

そこには「たかがAVじゃん?」という制作者の卑下や軽蔑が垣間見れたし、何処か後ろめたいというか陰鬱というか、そんな空気がそこかしこに漂っていた。


しかし村西氏のAVは違った。女優(と言っていいのか?)は演技をしていなかった。いや、本当はどうなのかしらん。でもオレには演技に見えなかった。監督と女優の間に恋愛関係はなかったかもしれない、しかし60分間のそのビデオの中では、本当に愛し合う二人だった。リアルな愛の姿を「自分たちはすばらしいだろう?」とでも言うように見せつけた。

オレはすぐにその世界に夢中になり、次から次へと借りまくり、観まくった。どの作品の中でも、相手が誰でも、監督と女優は本当に愛し合っていた。


顔を見れば判るんだよ。その最中は本当に相手を愛してるってことが。撮影前後のことなんかどうでもいいんだ。ともかく、その撮影の間に行われてることは「愛」だったね。疑似とか架空とかインチキじゃない。本当にそうだったのだ。


オレは男女のその行為というものが、凄く大切で素晴らしいものだと、村西氏の作品で知った。彼の態度は誇りと自信に満ちあふれてた。恥ずかしいことなんかじゃない。情けなくもない。彼はすべてを肯定していた。

常に理性に司られている人間が唯一そのコントロールから外れる行為。解放される行為。


その世界を知ってから、オレは徐々に、恥ずかしさや情けなさといった呪縛から逃れる術をつかめるようになり、自己を解放する方法を覚えて実践できるようになっていった。


そして、不思議なことに、そういうことが実践できるようになると、音楽も変わっていったのだ。オレの音楽は昔よく「閉じている」と言われた。しかし今は「開いている」と思う。照れも恥ずかしさも含め、開いて魅せることで、活きた音楽になっていったのだと思う。


オレが昔のままだったらどうなっていただろう。童貞こじらせて未だに閉じた自分本位な音楽をやっていたかもしれない。


(次回へ続く)



おまけ。

そんなこんなで隊長。
魔法使いから盗賊に転職します: やまもといちろうBLOG(ブログ)

オレは正直嬉しかった。まだまだ先は長いが、違うものがきっと見えてくるはずだ。断固害氏だけに大きな顔させておくことはないよ?彼があそこまで強気なのは、妻子持ちであると言うことも大きな要素だと思うからね。それぞれが自分の愛を見つければ、彼にも勝つことができる。ぜったい。

*1:オレの記憶が正しければ、監督自らハンディカメラを持ち、女優と合体し、それを撮影する、と言うスタイルをメジャー化したのが村西氏だったと思う。「ナイスですね」は流行語にもなった監督の口癖。

伝言ゲーム的ミクスチュア


さて、CD再販ブームで若者はマニアックな音楽も基本にしてしまったって話まで来ましたが、そうすると前々回の「今のやつらは音楽ぜんぜん知らんよ」と矛盾してくると思います。


CD再販ブームの恩恵を受けた人々の人口が多かったので、結果的にその影響下にあるオリジナル楽曲群もそれまでに比べると圧倒的な量だった。それらが日本中に溢れ、新しい子供たちは皆それらを聴いて育ち。そうして彼らは、オリジネイターに当たることなく、多種多様な音楽性を身に着けたのだと思われる。

「まったく音楽の基本を知らない」筈の若者*1が作る音楽が、多様性があったり意外なほど高度なコード進行*2で構成されてたりするのも、そのせいではないかと考える。


以前ここでオレは「音楽は全てデジャヴだ」と書いた。何も知らないはずの若者が書いた曲の、表面を剥いだ一枚奥には「CD再販世代」の音楽性、そしてもう一枚剥いだ奥の奥に「オリジネイターの影」があり、そこが読み取れる人には今の音楽も楽しめる。ストリートのゆずもどき連中に「君らエヴァリーブラザーズ知ってる?」などと言っても意味ないのだ。


実は、これらの特徴は今に始まった事ではない。70年代中盤から何度もリバイバルブームはやってきたし、懐かしい香りのするミクスチュアポップは存在していた。しかし日本では洋楽黎明期世代の「するべき論」的思想により、オリジネイターに当たらず音楽をする事やジャンルやルーツに無知な事は恥ずかしい事とされていた。故にオレは彼らに勝つため彼らをはるかに上回る事柄を知る事に膨大なエネルギーと時間をかけたのだ(オレの音楽活動の最大のモチベーションは今でも「復讐」である)。


様々な音楽が伝言ゲームのように伝承し広がり、最早オリジナルのメッセージが何なのかさえ判らない。しかし読み取れる人にはちゃんと読み取れる。別にぜんぜん特殊な能力なんかじゃない。「空気」として感じ取る事。「あー、なんか青い空の音がするなあ」とか、そういう感覚は、そんな音楽的デジャヴから来るのだ。既にどこかで類似の音列を聴いていて、それがそういう気分を運んでくるのだ。それの何が悪い。音楽なんかみんな思い出の中にあるんじゃないか。

過去を超える必要もないし、例え稚拙だろうがなんだろうが、あなたはあなたの書いたオリジナルをなんら恥じる事は無い。


何度も言うが「今が最高の時代」なのだよ。全然悲観なんかしなくて大丈夫。

*1:オレの印象では概ね20代前半

*2:洒落ではない

恐竜の退場


前回のエントリを書いた翌日、知人がやってた音楽プロダクションの閉鎖のうわさを聞いた。その理由がなんと「カバー曲をやるイベントばかりしていて仕事が無くなった」だった。あまりのタイムリーさにびっくり。

もちろん、その事務所も最初からカバーアーティストばかりだったわけではない。しかしワンマンで通っていた事務所代表が、前回書いた典型的な「カバーする事で天才の音楽に触れたい派」だったのだ。彼は、そういったタイプの人によくあるように、若者に「音楽とはこうあるべき」論を押し付け*1、自身も先達の優れた音楽を率先して演奏し、その素晴らしさを布教していた。結果、ライブやイベントごとでの、オリジナル対カバーの比率が2:8程度となってしまい、ほとんどの客に見放されてしまったのだった。


以前過去ログでも散々書いたけど、オレは昔から、自分らの世代の上にどーんと君臨してる、そういった世代が大嫌いだった。何につけ「するべき論」で語り、彼らの文化や考えを押し付けてきた。そのワンマン代表も典型的なそんな世代だった。ともかく「命令絶対規則はいっぱい音楽共和国」だったのだ。


その常識が覆るときが来る。それが90年代前後からのCD再発ブーム。過去の名盤から知られてなかった逸品から、ともかく片っ端にCD化。加えて、渋谷系元祖とも言える人々が、今まで隅に追いやられていたソフトロック、サントラなどと言った音楽に光を当て、その存在と素晴らしさを若者に広く告知。それまでマニアしか知る由の無かったそれらの情報が若い音楽ファンの一般常識となったのだ。


そうして逆襲が始まる。それらの新発見音楽に、旧来の世代はほとんど着いていけなかった。旧来世代の提唱する音楽に飽き飽きしていた若者は、新発見音楽こそ自分たちの音、と理解。そうした音楽に影響されたアーティストの書くオリジナルも当然また素晴らしく、国内での楽曲レベル平均をどんどん上げた。自分の言葉と音を持つものには、誰も敵わなかった。


結局、いまや旧来ロックはかつてのジャズのような立場となっている。マニアックなおっさんがささやかに楽しむもの、みたいな。あるいは、バーなどと言ったラウンジ向け音楽*2


この話は個人的におもしろいな。次回もまた続けようと思うよ。


今回のインスパイア元。
はてなブックマーク - 音楽のメディアリテラシー - 平和の国からこんにちは。Part 1
上記 synonymous氏ブクマコメ。ありがとう。

*1:本人は押し付けているつもりは無い

*2:反体制の象徴だったのにねえ…

カバーとオリジナルの狭間


いつまで経っても他人の曲のカバーばかりやる人と、ある段階からオリジナルをやるようになる人との違いはどこにあるのか、最近考えている。


オリジナルを創ったり歌っている人でも、いきなり初回からそうということはないだろうから、いくつかコピーなどしてみて、その後オリジナル創りにシフトしてるはずだ。しかしいつまで経っても他人の曲をコピーし続ける人もいるのだ。

カバー好きな人というのは、その楽曲なりアーティストを心から敬愛してる事が多い。少しでも近づきたい、とか、理解したい、という気持ちがそうさせてる気がする。また、話を聴いてみると、カバー好きな連中は意外に恥ずかしがりの人が多く、自分のオリジナルなど人に聴かせるのはもってのほか、と思ってるフシもあるね。頑張って創った処女作が、敬愛するアーティストの足元にも及ばずへこみまくり、それがトラウマになったという人もいる。

前も書いたが、オレの知り合いのカバーをやってる人々は決してテクニック的に下手なわけではない。むしろオレなんかからの目で見ても、すっげえうまい。それなのに、オリジナル曲の解釈の仕方がわからなかったわけだ。


さて、そんな自分はいつオリジナルにシフトしたかというと、やっぱりごく初期のうちだった。幼少の頃から様々な音楽を聴いてきて、小学生の段階から、お世辞にも作品とは言えないものの、自分なりに鼻歌的作曲をしたりなぞし、自分の中で「自分の歌を作る」という小さなモチベーションを育て続けてた。


当時の自分の特徴で、いまでも面白いと思ってることがある。それはどんな有名天才アーティストでも「全員自分のライバル」と思ってた事だ。たとえば小学生の自分はポールマッカートニーが好きだったが、敬愛とか尊敬ではなく、完全に「自分の仲間&ライバル」だと思っていた。

いつでもきっかけや機会があれば、彼の隣で一緒にセッションとか共作できるつもりだった。曲についてディスカッションし同じ気持ちで共演できる気でいた。


この気持ちは今でもあまり変っていなくて、マッカートニーに限らず、和洋メジャーマイナー問わず、音楽をやっているものは等しく全員自分のライバルと思ってる。

この辺のオレの考え方は、カバーばかりやってる人にとっては、神を恐れぬ行為というか、ふざけるなと思う事だろう。


先日あるライブハウスに出たときに、そこのメインミキサーの方と「最近の人たちはカバーやらないですよね」という話に偶然なった。

「なんでだろね?」とオレ。すると彼は「オリジナルのほうが簡単で楽だからですよ」「今音楽やってる連中は、音楽の常識とかジャンルとかほとんど知らないよ。これ知らなきゃ話にならんだろ?みたいな基本すら知らない。人のコピーとかするより自分で作ったほうが楽だからだろうねえ」。


これが現場でやってる人の実感だとすれば、そんな状態でみんなよくあれだけのオリジナル曲を創って歌ってるもんだと、逆に感心してしまった。


昔聴いた話でU2ボノのおもしろいエピソードがある。彼らがブレイクして有名になった頃、在英大御所アーティストたちとセッションになり、全員でロックスタンダードを次々演奏し始めたが、ボノはそれらの曲をほとんど知らなくて参加できなかった、という話。これ真偽のほどはわからないけども、なんとなく有り得る話のような気がして興味深く聴いた。


今の日本もちょうど同じような感じになってるのかもしれない、と思った。