表現者の生命力


昨日のエントリで、音楽が自分の本能だと心より認識した後、ちゃんと生きようと決心するようになったと書いた。それは、ほかでもない、この自分自身の身体が商売道具であり売り物であると認識した結果でもある。


それまでも少しその気配はあったのだが、オレはなぜかオバサマに人気があった*1。オレの分析はまずそこから始めた。オバサマがオレの中にみる魅力というものを自分なりに分析し、まず外見をその方向性に徹底する。そうしてそれを拡大し、下の世代、同姓にまで広げて行くよう心がけた。もちろんそれは音楽性もそうだ。自分の各作品の中にある、もっとも映える魅力の部分をしっかり分析し、そこをさりげなくフィーチャリングするよう心がけた。


そして前回書いたように、いつ何時どんな依頼があっても困らないように、部屋の環境、健康維持、体調管理などもろもろ徹底した。どんなときでも「最高にかっこいいオレ」であること、そうやって生き続ける事を至上の命題とした。

全部誰かのためではない。自分自身のためだ。そうすることによって人気を得て、人々に認めてもらうことが最高に気分良かったからそうしたのだ。

そうして少しずつオファーなどが来るようになり、いろんな人が適切な意見を言ってくれるようになる。そうして、その人たちが言ってくれる自分の魅力データの蓄積がますます増え、その後の行動がとりやすくなった。

ちょっとずれるけど、オレにとってすごく意外だったのが「あなたは声が良いねー」という意見だった。それまでの人生でオレは自分の声*2を貶されてばかりいて、周りの人も一度も褒めてくれた事がなかった。それゆえ、自分は歌は好きだが、歌で仕事する事は無理だろう、だから作家とかアレンジャーになるしかないな、と思っていた。それなのに、だ。ある時期以降、特に「業界」の方々は「声が良いんだよ」と口々に言うのだ。これは本当に物凄くびっくりしたしショックでもあった。

人は自分のことを知ってるつもりでも、全然知らないんだなあ、と。そして、ごく若い頃の心無い意見は確かに傷つくけど、そんなの一過性のものだ、と。広い世界に出れば、全然ありえないような自分の「売り」を発見してくれる人などたくさん居るってことなんである。

そんなんで、今のオレは、そうした周りの方々に生かされているとも言える*3。そうでなかったら、とっくの昔にメタボ路上生活者とかになって朽ち果てていたのではないだろうか。



どちらも今へヴィーリスナーではないけど、以前オレが好きだったアーティストにビートルズビーチボーイズが居る。どちらのグループも、オリジナルメンバーのうち2名は亡くなっている。オレはこの生き残ったメンバーの中に「強い生命力」というものを見る。

例えばビーチボーイズのブライアンウィルソンはどうだ?彼なんか、メンバーの中では一番最初に死にそうだったのに、結局ウィルソン兄弟のなかで最後まで生き残ってしまった。ポールマッカートニーなんか見るからに絶倫で生命力強そうだし。対してジョージハリスンのほうは、最後までなんだか頼りない弟のままだった*4。まぁジョンレノンは射殺だったのでなんとも言えないが、今生きてたとしたらマッカートニーとどっちが元気だったか、興味はあるね。


そんな現実と生命力の残酷さを、早々に*5見せ付けられたのが、例のストーンズのブライアンジョーンズだろう。元々結成者でリーダーだったのに、その座をジャガーに取られ、恋人も取られ、バンド内での居場所もなくなった。ロックンロールサーカスでのお客さんぶりは、本当に観るたび辛くなるばかりだ。一般的には、ゴダールの映画の中でのブライアンのことをそう見ることが多いけど、オレは真に残酷なのはロックンロールサーカスだと思う。あの大勢の仲間の中で明らかに一人だけ「お客さん」だとわかるからだ。


誤解を覚悟で言うと、何かの表現者が、すべてを言い尽くしたとき、生命力というものが潰えるような気がしてる*6。ジョーンズのほうのブライアンも、例えば地味辺やシドヴィシャスといった人たちも、もし生きてたらどんな作品を産んだだろう、というIFみたいな興味はわくけども、実際にあれ以上何かの作品を産んだ、という想像はしにくいのだ。ハリスンにしても、過去ログのリマスターが残っていたし、それに付随する回顧録とか残した仕事はある。しかし新譜をあれ以上残すとは思えなかったし、リスナーもそれを望んでいなかった気がする。あちこちのセッションに顔を出しつつ優雅で楽しい余生、それがハリスンのイメージだった。



今回のインスパイアもとはこちらだ。
404 Blog Not Found:バイキング式のレストランで給仕を待つ君たちへ
今回のエントリに関連して言えば、つまり、生きようと思わなければ、そこにある食い物も食おうとは思わないってことだ。

前回書いたように、様々な障害があって物事に集中する事が本当に難しかったオレは、何かの最中に「ええーい!もういいわっ」と投げ出す事がとても多かった。そして、生きること自体に対してもそう思うのは時間の問題だったと思うのだ。それが、「自分は音楽で生かされている」と気付かされたとき、むくむくと「生きたい」という欲望というか本来の本能が目覚めてきたのだ。


喫煙者は緩慢な自殺をしている、という言い回しがあるけど、まあその言葉の是非はおいておいて、生きたいと思ってない人はみんな「緩慢な自殺」を望んでるんじゃないのかな。もちろんオレもそうだった。さっさと人生過ぎてくれって思ってた。「今は死ねない」と思ってから、初めてその為に動き出すのだ。

*1:その前兆がこんなところにw http://d.hatena.ne.jp/mrcms/20071126/1196037133

*2:歌じゃない。声。うまいし音域も広い、でも声が嫌い、と言われ続けてきたのだorz

*3:今のオレは体型と体調と声の維持を至上命題として生きている

*4:貶してるわけではない。反論無用

*5:ロック創世記で一番最初に亡くなった有名人が彼じゃないか、と。

*6:自殺を除く。自殺っていうのはまた何かの表現なんじゃないかという気もする。