スヌーピーの犬小屋的なあれ


最近いろんな人といろんな交渉とかしてるんだけど、目に見えてる部分だけ相手にしてると思ったら、それはまずいっていうか、大怪我の元って気がする。おそらく、その交渉やら会話の裏では、想像以上にいろんな人がその情報を得たりして、交渉当人に意見したり知恵授けたりしてるわけで、相手がまったく単独でやってるなんて、殆ど無いんじゃないか。


とかく人って言うのは第一印象で判断しがちなんだけど、勿論それはオレの信条として、「人は第一印象である」、なんだけど、その裏に見えるものすべてしっかり見極めたうえでの、「ああ、だからこんな第一印象ね。」みたいな判断なわけで、たとえばこないだのキモイ論争にしても、キモイとか一言で言い切る奴の、その逆な意味での潔さってのも変だけど、その価値観は逆におもしろいと思ったり、こいつがいまこう切り捨てたのは裏に何があるか、みたいなこといろいろ想像とかするのって楽しいじゃん。

そういうの、ただ腹立つからとか、こういう人間はどうかとおもう、みたいに決め付けると、なんだかそいつの人生もそれまでみたいな、エンジンのリミッタみたいな、もったいない寸止め感があるんだよね。


まあオレの場合、あらゆる事がネタになる商売なわけだから、そう思うんだろうケド、細かい事でいちいち腹立てる時期っつか、年代は既に通り過ぎちまったってのもあるだろうけど、まぁともかく、人っていうのは面白いもんだ。


こんな事思ったのは、実は業界のすごい狭さみたいなのって時々忘れそうになるんだけど、ともかく悪い事するとその噂は光より速く隅々まで到達するもので、それ忘れると大変な事になる、ってことだよね。そういう意味じゃムラ社会なんだろうな。もう一個同じ規模の業界があれば、こんなことにはならないんだろうケドね。


などと雑文を書いてみたわけだ。