本当の言葉を見抜く


長いことメディアを見続けて、なおかつ言葉を紡ぐような仕事に携わっていると、言葉の裏や奥にある本音を、自ずと求めるようになってくる。


勝手な自論だが、80年代中盤以降産まれの若者は、自分を一番魅力的に見せられる「決めフレーズ」に長けている気がするな、と思っている。生まれたときからビデオカメラが身近にあったので、動画の被写体として撮られ慣れているからだろう、と理由を勝手に想像している。


ビートたけしはツービートで、それまでのメディアや世間の「お約束」というやつを片っ端から破壊した。刑事ドラマも青春ドラマもすべてパロディやお笑いのネタになり、真面目に捉えられなくなった。しかし、80年代中盤のバブル文化で、また別なスタイルの「お約束」が生まれてしまった。クリスマスには彼女とホテルで、とかそういうやつだな。


現在の文化は基本的にその流れの延長上にあり、誰もが知らずのうちにその「お約束」の下で生きている。その場その場で、その空気を読んで行動している。たとえその場に自分以外誰も居なくとも、まるで上から誰かが見ているかのように、あるいはひょっとしたら「ドッキリ」なんじゃないか?と疑うかのように、いつも誰かの視線を気にし、客観的フレーズで行動し続ける。自分の行動を他人の行動のように、人に説明する。


オレが人に求めるのは「本心かどうか」だけだ。装飾過多の言葉など要らない。何度も言っているが、意味があるのは「たとえ稚拙でもオリジナル」なものだけだ。言葉でも音楽でも同じだ。スカウトとして人を見つける際も重視するのはそこだけだ。言葉だけは決して嘘を付かないのだ。

すべてが予定調和でお約束で決めフレーズとなった今、「本当の言葉」「本音の言葉」こそが、本当に人を動かすことが出来る。不祥事を起こした会社の社長やら議員やらが記者会見で言うべき言葉も、そういう言葉なのだ。

ということで長くなったが、これの件でちょっと書いてみる。


まずここから行こう。久々の「玄倉川の岸辺」氏だ。彼のブログと出会って3年ほどになるだろうか。オレが休んでる間も休むことなく書き続けていた。そして今回、久々に琴線に触れるエントリがアップされ、思わずコメントした。読んでもらえれば判るが「久々の玄倉川節」だと感じた。さらに、彼が被TB先で残したコメントも紹介する。まずこちら

それならなぜidiotope氏に批判の矛先を向けたかといえば、上に書いたように単純に不快だったからです。

それからこちら

私が嫌いなのは自意識過剰な誠実ぶりっ子です。それをjo_30さんが「妬み」「いじめ好き」と見るならそれでもかまいません。


これはまさしく彼の本音だ。内容の是非ではない。本音かそうでないか。それが重要なのだ。ネット上というかブログで、ここまで単純明快に本音を述べた文章ってのは久々に出会った。それが玄倉川氏だった、というのも意外というか嬉しかったというか*1


付け加えておくなら、騒動の勃発点、というのも失礼なのだが、hashigotanさん(現在閲覧不可になっている 復活したので参照記事変更→)のこのエントリも満身で本音を訴えている*2。これも是非ではなく、本音であるかそうでないか、が重要。


ということで、ここに戻る。正直な感想を言うぞ。「なにこれ??」。


支離滅裂でも文脈破綻でもいい。その嬉しさを満身で、率直な言葉で表現していたらここまで叩かれてないと思うがどうかね?


ある年齢以上になると自分は冷静沈着でなきゃいけない、とか思うのか知らないが、過剰に客観的になる傾向がある気がする。日頃ベランメエ口調なくせに喧嘩になると急に丁寧語になったりする奴がいるが、いや、実はかつてのオレもそうだったが、そんな客観的言葉なんてのは今どき人の心など打たないのだ。


今日はこれくらいにしておく。w

*1:オレへのレス「私の気に触ったのは、idiotape氏の語り口が「誠実さの衣をまぶした武勇伝」になっていったからです。」これもいいね。

*2:まさにロックだ。