いちばん非情なのはこの私かもしれないが。


以前ここでさりげなく書いたが、「なかなか自分を解放できない、というこの自分の特性は、音楽家としては致命的欠陥のひとつではないだろうか?」、というコンプレックスを長年持っているオレは、本音全開で感情をぶつけている表現に出会うと、内容はともかく、無条件にリスペクトしてしまう傾向にある。


この一連の出来事で、いちばん無責任に楽しんでる人間はこのオレである。誤解を恐れず言うと、個人的には誰が傷ついたとかほとんど関係ないのだ。ただ、表現として優れているか、オレの琴線に触れたか、それのみで捉えている。


オレはかつてバンド仲間に「アンタは恐ろしく冷たいな」と言われたことがある。対象への興味が冷めると、さっさと離れてしまうからだそうだ。バンドメンバーも、バンドに不利益と思ったら無条件に切った。情などない。常に優先するのは「自分の音楽の成就」のみ。それを阻害するものは悉く排した。今のオレのレコーディングは、打ち込みも含め、ほとんどが自分による演奏である。人を使うということはメンドクサイ。説明して理解を求めるより自分でやったほうが早い。それでも、非常に優れてたメンバーとの出会いも、少ないもののいくつかあり、今でも彼らには「ここぞ」という際に手伝ってもらう。彼らはありがたいことに、気質もオレと似ており、お互い距離を置くことに非常に長けている。お互いを繋いでいるものは何か、ということをちゃんと知っている。お互いに甘えたり寄りかかったりしない。超インディペンデントな表現体どうしなのだ。


前回のエントリに頂いた、

彼のために一生懸命弁護したり怒っている人がいることを「いいことだ」と思ってます。

というコメントを読めば判るように、こんなオレに比べるとid:kurokuragawaの人ははるかに良い人だ。そしてこのブクマコメントにあるように、

「hashigotan 被言及 kanimasterさんへの記事は今は言い過ぎたなあと反省しています。いい親父さんのようですからね」

hashigotanさんの人も良い人だ。どちらのコメントからも、その攻撃的言葉の裏にある本来の優しさみたいなものが垣間見れる。


これらコメントで判りやすくはなっているけども、前回取り上げた、オレが「これは本音だ」と言ったそれぞれのエントリでも、言葉だけでは一見そうは見えないかもしれないけど、この方々の優しさというものが、それとなく伝わって来た。玄倉川氏のほうはどうだか判らないけど、hashigotanさんは、あの文章を、或いは騒動の発火点となったこちらのほうも、恐ろしい速さで打ったのではないか、と想像した。だから躊躇とか一切感じられない、直球な言葉になっていて、だからこそオレの琴線に触れたのである。


6年ほどネットや電子掲示板界隈をウォッチしているオレだが、最近の「美談」「美文」を絶賛する傾向は、別な意味でのウヨ化なんじゃないかと思って、非常に危惧している。まだ「全米が泣いた」と半分茶化してるうちはいいが、本気で「泣いた」とかいうコメを読むと「じゃあその顔アップしろや」と確かに言いたくなる。「お茶吹いた」と同じで、実際には吹いてないのだろうが、「お茶吹いた」には素直に笑えても、「泣いた」には騙されない、と逆らう自分が居る。
荒唐無稽なことだろう、と思いつつ、実は誰か黒幕がいるのではないか、と疑心暗鬼な自分が居る。「電車男」は壮大な実験だった。これでネットの奴らは簡単に騙せるな、と味を占め、奴らは次の段階に進んだ。「美談」で愚民を掃除してしまう作戦だ…。


はは。まぁオレの想像であってくれることを願うよ。


ともかく「全オレが泣いた」→「全ハテブが泣いた」→「全ネット住民が泣いた」→「全日本人民が泣いた」にならずに安心した。


そして、未だ自分に、こんな感性が残っていたことを気付かせてくれた玄倉川氏hashigotanさんには感謝したい気もするし、叩かれること覚悟で、ブログというメディアで本音を書いてくれた、その勇気、というか、その「空気の読まなさぶり」にも敬意を表してみようかな、と。




追記。
似たような視点の方が居られました。
萌えるローマ帝国 新編
なんだか救われる感じがしますね。