「萌え」でオタクが「イタリア人」化される件


ちょっと前だが、id:ymScott氏界隈で「萌えってのはつまり性的に欲情しているってことを言い換えてるだけじゃ?」みたいな話題を読み、なるほどと思っていた*1

「萌え」っていうのはオタクジャンルの人たちに与えられた、初めての「欲情語彙」だったんじゃないかなと思う。


以前ちょっと九州男子の事を書いたけど、古来「男」という動物は異性を見れば欲情するものなのであって、街角だろうがバイト先だろうが、良いと思ったら「よーネエチャンいいねー」とか言うのが男らしいみたいな風潮が確かにあったよな。

最近ケーブルで昔のドラマたくさん見れるじゃん。「俺たちの旅」の中村雅俊氏とか「探偵物語」みたいなのとか観てると、なんか主人公みんな普通に、街角の女性のオッパイや脚眺めて「イイね〜」とか言ってるんだよな。今じゃありえんよな、と思ってちょっとびっくりするよね。中村雅俊氏の視線ってのは普通にエロいんだけど、まぁ個人の好みとは思うけど、彼のキャラのお陰で、それほど不快感も感じないように上手く作られてる気はする。

こういう風に単刀直入に欲情するのって、昔はある一定のキャラ以上の人とかに許された行為だったと思う*2。それがだんだん普通の人でも、そういうこと冗談で言ってもいいんだ、という風潮になってきて、そんでセンスのない人が大量流入、冗談と思えないような引かれる言い方をしてしまい、結果セクハラみたいになってるんだろうと思う*3


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080116-00000003-jct-ent
この事件なんか、それをもっとも端的に表してるじゃん。玉木みたいな人が脚見てても文句なんか言わないと思うよね。差別だ、って言ってもそれが現実ってもんだ。


所謂オタク系の人って、そういうことを本来いちばん言ってはいけないジャンルの人たちだった。これは自分もそうだったから判るけど、なんか生理的にキモイんだってうのはよく判る。オレも中学時代とかはよく言われたよ。気持ち悪い、観るな、触るな、とかですよ。「あの子かわいいよね」とか言ったらクラスじゅうドン引きですよ。可愛いと言われたほうはその日から同情の対象ですよ。何にも悪いことしてないのに、って。おいおいそれはオレのほうじゃ?w


「おーネエチャンいいねー」という言葉を持たず、ヒュ〜ヒュ〜と口笛も吹けず、ジトーーっと眺めるだけで行動もせず、その不気味さに気持ち悪がられる、という不遇な市民生活を強いられてきたジャンルの人々に、初めて与えられた言葉「萌え」。やっと独自の言葉が生まれたってことか、と。感慨深いわけです*4

こうして、キモキャラの人でも、とりあえず「萌え」とか言っておけば、いくらジトっと脚見てようが何してようが、その場は取り繕えるようになる。挙動不審がられることも少なくなる。そんな、新式の処世術みたいなものだろう、と。



こうなると10年後くらいの会社の宴会がたのしみですね。

空気読めないおっさんが、若い子相手に「き、きみって萌えだよね、ッヒッヒ」とか言ってセクハラで訴えられてる場面が、ものすごく想像つくんですが、どうでしょうか。



関連
痛いニュース(ノ∀`) : 「足を見るオジサンはチカン」…アイドル「AKB48」大島ブログが大炎上 - ライブドアブログ



追記。
発信元のほうで話題が広がっていましたのでリンク。
http://d.hatena.ne.jp/ymScott/20080120/1200833485
http://d.hatena.ne.jp/freeflyflow2/20080125/1201277934

確かに元々はこういうことだと思います。フェチと紙一重な感じではありますよね。

*1:始まりは初音ミクの話題からだった

*2:スケベをエロに見せる才能とか、或いは元々かっこいいとか、或いはイタリア人であるとか

*3:それをセクハラと感じるか否かって言うのは、やっぱり「そのやりかた」だと思うから

*4:2次元のことについては今回敢えて触れなかった

ライフワークのお知らせ

さて、気付いた方も居ると思いますが、私が管理してるサイトをプロフィールからリンクしてます。


以前から時々話題に出していた「Led Zeppelinライブ研究サイト」ですが、この管理を全面的に私が行なうこととなり、この度リンクすることにしました。

以前は友人との共同執筆扱いだったのですが、もともと全ての原稿は私が執筆しており、事実上は私の個人サイトのようなものだったのです。ただ、解説の内容は友人との会話やディスカッションから生まれたものも多いので共同名義としました。

このサイトの全てのコンテンツを読めば、私の価値観や言いたいことなど、全て判るはずです。そしてそれらは、当ブログにおける私のポリシーとも一致していることが理解できると思います。


このサイトの分析記事を書くに当たって、特に注意したことは「定型の言い回しを使わないこと」でした。音楽用語のボキャブラリというのは定型フレーズが多く、確かに便利は便利なのですが、今どき新鮮味も薄く、また、イメージが限定してしまうという弊害もあって、出来れば避けたい、と。ならば、いっそ「新語」を創るような感覚でオリジナル表現をどんどん使って書いてしまった方が独自色出ていいじゃん、ということになり、あのような内容となったものです。独特の擬音とか、メンバーのコンディション説明の擬態語とか、その辺はニュアンスで捉えられるよう、楽器をやらなかったり音楽に疎い人でも楽しめるよう、意識して書き上げました。


以前の過去ログでも書いたとおり、このサイトが公開されてから数年後、明らかにその影響下にあると思われる解説本が、相次いで大手出版社などから発売されましたが、そのどれを読んでも拙著(サイト)には及ばないと自負しています。私の書いた文章とそれら書籍との、もっとも大きな違いは「音楽が生まれる」という現象の捉え方なんです。

あとはネタバレになるので書きませんが、まぁ興味があって読まれる方は楽しんでやってください。


さて。
詳しい方なら判ると思いますが、拙著は残念ながら、今現在は全公演コンプリートではありません*1。執筆中に本業が忙しくなり、ほんの僅かですが書き残してしまったのです。それがコンプリートされるときはいつ来るか。老後の楽しみにしておきますかw

*1:音源は全公演ぶんを既に所持しています

私は初音ミクじゃないっ!


オレが長いことプロデュースしてる女性のレコーディングが昨日久々にあった。この方の場合ちょっと関係が特殊で、他の子のようになかなかスムーズには事が運ばない。何故なら、この方は自己存在証明のために歌を歌っているからだ。もちろん他の子もそうなのだけど、昨日の方の場合、それがもっと繊細で複雑、というか、自分の中でのイメージと、実際の完成度との違いに「これでいいのだろうか?」とものすごく悩む人なのだった。


そんなわけで彼女とはよく喧嘩になるのだが、昨日はその頂点だったとも言えた。休憩中にたまたま観たビデオで流れた、某アニメ声優さんの歌がきっかけだった。


「なにこれ?ちょっと声が良いからってなにこれ?」
「修正しまくりで、それでもこうやって売ってるわけだ」
「こんなこと自分がされても意味ない、そんなの私じゃないっ」
「こんなんでいいんだったら、さっさと他の子探してくれば?」
「私は初音ミクじゃないっ!貴方の言いなりのお人形じゃない!」


おー!
彼女の口から「初音ミク」!
否定的意味合いでの「ミク」言及キターーーー!
笑。


この発言は嬉しかった。実はちょっと前までオレらは「初音ミクはおもしろいよね」と言って喜んでいたのだ。しかし実際は、様々な想いや葛藤があったってことだよね。

こうして思いを吐き出したあとレコーディングは再開、その日のベストテイクをものにすることが出来た。


以前も書いたが、実はオレも自分のプロデュース作品に、べったり「自分色」を着ける人間である。しかし、自分がそうされることの拒否感もよく知っているので、相手が不快に感じる、というその気持ちや、そうならない寸止め加減もよく知ってるつもりだ。

今のオレは、相手に「どうしたいか?」必ず尋ねる。なんでもいい。イメージでも言葉ひとつでもいいから言ってくれ、という。

たとえばそれで相手がひとこと、

「オレンジ。かな…。」

と言ったとしよう。そこからイメージを膨らませて「オレンジ」な曲*1を創るのだ。


この話は語りきれないな。またそのうち続きを書きたい気はする。



関連過去ログ(両極端)。
http://d.hatena.ne.jp/mrcms/20071016/1192515388
http://d.hatena.ne.jp/mrcms/20070704/1183506762


関連ブクマ。
POP2*0

*1:オレが作るのは「曲」。サウンドではないことに着目。オレは常に「曲」で完結させることが究極の目標なので

脱ぎ捨てた服


昨日のエントリ含め、最近の記事は偏見に満ちているように感じられる方も多いかもしれない。しかし、全て自分の実体験から導き出した結論であり、「そういう傾向がある」のは否めない事実だと感じている。


過去もそうだったが、オレがこういうことを言い始めると、大概周りの人間は黙り始め、孤独な状態になる。オレは第一印象がとても好印象らしく、また物腰も口調も柔らかなので、その裏に隠されたオレの実際の性格を知ったとき、その落差に驚いてみんな退いてしまうのだ。決して嫌われるわけではないのだが、気軽な友人、という間柄から脱落するんだと思う。


接客業から音楽家に転身する、その前後で非常にこういうことが多かった。それまでの友人はほとんど離れてしまい、かといって誰も理解してくれず、毎日孤独で、泣き喚きたいのを必死にこらえながら暮らした。そのとき満身の思いで製作していたアルバムが結果的に認められたわけだから、結局「そういうこと」なのかもしれない。


楽家に転身しアルバム製作が終わってから、徐々に新しい交友関係が開けていった。それまで決して会うことのなかった種類や職種の方々と知り合った。そしてその誰もが、オレと同じ悩みを共有していて、お互いに「わかる、わかる」と言い合い、がんばろう、と励ましあった。悪い言い方をすれば「傷の舐めあい」ではあるが、それでも舐めあう相手が居るというだけで、明日も生きてみるか、という気持ちになったのは事実だ。


彼らは決して助けてはくれない。自分を救えるのは自分だけと判っているからだ。だから「頑張ってくれ」しか言えない。安易な「頑張って」は昨今とかく非難されがちだが、この「頑張って」は本当に価値があるよ。本当に価値がある「頑張って」はそれを言われたものにしかわからない。そして、それを受け入れられる準備が整った人間しかわからない。


先日書いたことだが、オレは同じ場所に留まるのが嫌いな性格だ。だから誰かのマニアをいつまでも続けている人が理解できないし、他人を信仰し続けるような種類の人とも理解し合えない。

それは別に、オレが飽きっぽいからということではない。対象を食い尽くすと次に行きたくなってしまうのだ。もう充分得る物は得た、と身体が判断し、受け入れなくなってしまうのだ。


昨年末アルバムの製作が終了し、会社も終わり、季節も変わる。つまり衣替え。お世話になった古い冬服を脱ぎ捨てる時が来たってこと。この「衣替え」という概念は、15年前の転身の時に気付いた考え方だった。そっか。オレは古い服を脱ぎ捨てたんだな。と。



例のブックマークで大量得点差をつけられ、まぁ凹んで居ないといえば嘘になる最近であったが、少し時間が経ってから、表に現れない部分でいくつか応援メッセージを頂いた*1


どうでもいい600よりも本当に価値があるメッセージだと感じた*2

心からお礼を言いたい。


さて。新しい服探しに行かねば。ギャル系にしようかな(は?)。

*1:関係者にURLを送って見てもらっており、ここには書けないこととか、まぁいろいろあった

*2:もちろん、目に見える数個のブクマも同等に嬉しい

音楽を産む人種、演る人種、聴く人種

またやってしまった…。


オレはもう、彼らと一緒にプレイすることは無いに違いない。


同じように音楽を愛しているように見えても、実際は3種類の人間が居る。彼らは典型的な「演奏して楽しい人種」だった。自分たちの好きなアーティストの曲や好きな曲を、その対象になりきって演奏する。もしくは自分なりに解釈して演奏してみる。そういうことに楽しみを見つける人々だ。彼らは、既に存在しているもので楽しむのは非常に得意である。しかし「産むこと」が不得意な人たちなのであった。


「どうやっていいのかわからない。練習してるのだが…」
「いや好きなようにやってくださいよ。オレのデモのとおりでも良いし」

それでも出来ない。

それでいてジャズのセッションや規制曲のカバーでのライブでは、とてつもなく楽しそうに演奏し盛り上がる。


嫌がらせか?

オレは自分が舐められたか嫌われてるのだと思った。


「違いますよ!あなたの曲は大好きなんですよ!」

こうなると理解不能だった。


このごろあちこちのブクマコメで書いていたことだが、「楽器を演奏する評論家」の言うことはオレは信用しないことにしている。実は、この方のエントリを読み思い出したのだ。そういえばそうだったな、と。

確かに音楽を深く追求してゆくと、産む側の気持ちをどうしても理解したい、と思うのは当然だし、もっと探って行きたくなる気持ちも判る。しかし、それが出来たところで、アーティストに追いつくことなど不可能だろう。なぜなら、追いついたら、その「評論家」が「アーティスト」になってしまうからだ。


評論家というものは、音楽を実際にやっている当事者では気づかないことを、なにか見つけたり表現する仕事ではないだろうか、と思う。音楽にストーリーを加える人ってこと。判りやすいように別な視点を加える人。小説などの「あとがき」的なものを書ける人。違うかな?


いろんな自称「音楽好き」と話し、一番気が合ったりするのは「音楽を聴く人種」、もっと言えば「聴くだけの人種」だった。彼らは「聴く」ということに特化しているため、演奏する人種にはありえないような、実に面白い視点で自己流の解釈を述べたりする。なかなか感心することを言うのよね。実際。


ここまで書いてきて判ると思うが、オレはあくまで「自分にとって」という話をしている。


一般リスナーにとっては、例えば楽器をかじってる評論家の分析した、奏法や理論なんかの解説は面白く読めると思う。しかしそういうことは、オレら産む人たちにとっては不要だ。なぜって当事者だから。

だからきっと仲良く出来ない。そっちは勝手に仲間と思ってるか知らんけど「別に仲間じゃないけど?」と言うしかない。アーティストと同じ地平に来て、その最後尾に並び続けるより、ちょっと横の別な地平の一番前目指したほうがよくなくない?って思う。冷たい言い方だけど。


オレは純粋主義だから。結局誰も仲間に入れたくないってことなんだろう。信じるのは自分の音楽と数少ない理解者だけで良い。


これも続き書きたいね。このままじゃ、ものすごく傲慢な人じゃん。

まーでも実際そうですけどねw


関連エントリ
http://d.hatena.ne.jp/mrcms/20071124/1195881005
http://d.hatena.ne.jp/mrcms/20071001/1191198430

誰かのマニアであるということはそれだけで人間的に欠陥がある


自分が音楽をやっている身でこんなことを言うのは甚だ失礼だと思うのだが、特定のアーティストなりバンドの熱烈なマニア(ファンではない)というのは、つまりその事実だけで、どこか人間的欠陥がある人だと思っている*1

彼らは、自分がその対象の一番の理解者で全てを知っていると誤解し、日々の言動もその信念を元に行なう。ほとんどの場合、誰に指摘されても、自説はまったくと言っていいほど曲げない。なので、ファン同士、マニア同士で諍いが頻繁に起こる。こうなると宗教だよな。


これが一般人だと「まぁしょうがないねえ」で済むが、こういうマニアというのは熱が講じて、その世界の一人者になってしまうことがままあるので、そうなると実害を撒き散らすことになり、始末に終えない。

たとえば、そういう方々の出版するアーティスト研究本などというものに顕著である。マニアとしては一流だからそのデータは確かに素晴らしいものであるが、人間的欠陥がある方々なので、読んでいて不快になることが多いのだ。そのアーティストをべた褒めし、返す刀で敵対アーティストを貶しまくるとか*2、読者やファンの殆どが「それは間違いですよ、あなたの勘違いですよ」と指摘しているのに、絶対訂正しないとか。それはもう大人気ないことこの上ない*3


そんな彼らと付き合ったり著作を読んだりすると、本当なら関係ない筈の、そのアーティスト自体も嫌いになってしまう。実際に過去オレは、そういう事情で聴かなくなった、或いはファン熱が冷めてしまったアーティストが結構居る。


なので今のオレは、誰かのことが好きでも、決して口外しないようになった。汚されたくないからね。そして、そういった自称マニア連中からも距離を置くようになったのだ。


オレが彼らを嫌うのは、彼らの年齢層が総じて「おっさん」であるからだ。20代のマニアなんてあまり聴かないし、居たとしてもおっさん世代よりはマトモな気がしてる*4

以前ここで書いた、カバー曲をやらない主義という考えはこういう過程で生まれた。おっさん世代はあまり娯楽がなかったからか、ともかく「思いが重い」のだ。しかし時代が昔なので洋楽データの輸入絶対数が少なく、少ないデータのみで勝手に思い込み勘違いしていることが多く、またそれを訂正してあげても直さない。本当に困る人たちである。


オレが勝手に今の30代以下の世代に期待してるのは、彼らの世代にはこういったことがあまり見られない気がするからなのだ。全てのメディア関係の価値観を、一旦フラットにしてほしいと心から願っている。


焼き野原の後から新しい文化が生まれる。自分もその時に生き抜いていけるよう準備はしておこう。

*1:当然自分含

*2:ただ褒めてりゃ良いのに貶すほうは余計

*3:以前からよく書いているビートルズ関係のマニア本出版利権などがそれに当たる。評論家全員○ねばいいのに。

*4:音楽に関しては。他のジャンルはどうかね?たとえばアニメとかだと若者でもウザイ気はするけど

「質が良い音楽である」ことを判りやすく魅せる義務


前回のエントリが半端になったのでそのまま続けよう。


もちろんこれに呼応したエントリね。
音楽の「質」の話とか - くだらない踊り方


オレ達は質の高い音楽を創っている、と自負している。おそらく、だけど、マイナーレーベルだったが故、そんな夢を見続けることを許されて来た。


しかしこれは「夢」ではない。個人の好みとか主観とかそんなレベルではなく、絶対値としての「質が高い音楽」というのは実際ある。これはクリエーターとしてのオレが断言する。ただ、それを言うとものすごい抵抗と軋轢を生むから言わないだけで、ある。あるって言ったらある!歴然と「あるものはある」のだ。


オレらは製作だからそれを信じて創るだけ。えっと。これはもうid:rmxtori氏が製作側ではないと勝手に思い込んで書くが、そういった「質の高い音楽」を、一般の素人の方々に「これは質の高い音楽なんです」と、巧妙に判りやすく魅せて売る込むことが今やるべきことなんじゃないかと思うのだが、どうだろう?*1

「質が高い」なんていうと、「わたしゃそんな高尚じゃないわよ」とかいう人から反感買う。だからそれさえ意識させないように。サブリミナルのごとく。浸透させる。


それが音楽に携わる人間のやることではないだろうか。音楽業界に腰掛程度ではない年月居て、様々な音と人間に触れたなら、そういった鑑識眼は持っているはず。貴方が信じた「質の高い音楽」は正しい。だからこそ、それを市井の人々に巧妙に伝えて浸透させてほしいのだ。

「ほしいのだ」、とかいうと他力本願だが、もちろんオレも頑張るけど、所詮「芸術乞食」だからさ。オレらに現実的視点なんか、そりゃあちょっとはあるが、作品に没頭したら、そんなもん消えちまうのでね。そっちのほうで是非頑張っていただきたいっていう。


ということで前回エントリ最後で書いた、ブライアン・ウィルソンの話に繋がる。ビーチ・ボーイズのリーダーでほぼ全てのヒット曲を書いていた彼が、ドラッグ&ペットサウンズ無理解&スマイル挫折によって廃人寸前まで逝ったのは周知の事実だが、彼を復活させたのは、彼の音楽が「凄まじく質の高い音楽」であることを信じ続け、それを一般人にアピールし続けた周りのスタッフではないか。

彼らは地道な努力と、あとブライアンの才能を信じ続けたことと。ともかく凄い努力を続けた。その結果が現在の彼の評価ではないか。


もちろん、今のこの日本にブライアンほどの人が居るのか?って話にはなる。なるよ。でも別に貴方が信じた「質が高い」でいいのだ。それを「これは素晴らしいんです、聴いてください」と言い続ければ良いのだ。


ということです。


ね?まったく業界向きじゃないでしょう。
こんな甘い奴、魑魅魍魎的業界を行き抜いて行けないから。


まぁ、だからこその今年からフリーター。
よろしくです。

*1:つまり一般向けの解読であり翻訳