NHKを見たら負けだと思っている。


極北の地方都市出身のオレは、子供時代、公務員という職業の有利さを嫌というほど味わって過ごした。それは両親二人とも公務員だったというのも大きい。今こんな不安定な職に就いているから尚更実感するが、安定という意味では本当に素晴らしい職業だ。もちろん両親は仕事は苦労していたけどね。福利厚生やら待遇やら、子供の自分はずいぶんお世話になった部分もあり。


当時の街の様子を最近いろいろ調べて判明したのだが、実は組合や労働者が非常に強いエリアでもあったらしい。確かにそういわれりゃそうだった。革新系政党支持者が多数派だったし、他所と比較は出来ないので、あくまで子供の自分の印象ではあるが、労働者の権利もずいぶん大きかった気がする。


そして就学。これは前にも書いたことだが、当時は教師の団体が非常に強くて、その授業内容などにも、微妙ではあるが赤い雰囲気をそこかしこに感じた。子供のオレにもわかるのだから、本当に赤寄りだったんだと思う。


そんな子供時代。職場のオススメのグッズを使い、両親オススメの音楽、書籍を読み、そして推奨テレビ番組はすべてNHKだった。民放なんか低俗でくだらない、決して観るな。と。だから情報源は全てNHKNHKが取り上げたニュースを知り、音楽を聴き、映画を見、そして中学生日記を見る(笑)。理想の女性像は朝ドラのヒロイン。人格者はキャスターや解説者、紅白の司会者。ともかく彼らが提案する価値観をまったく疑うことなく過ごしたわけだ*1

野党党首で福島瑞穂さんという方が居るが、その実績や思想等はおいといて(笑)、当時の理想の女性というと、ちょうど彼女みたいな人を彷彿とさせる。派手ではないが、しっかりとした信条を持ち、凛として立っている、という感じ*2

これは女性の理想であるが、実は全ての理想像は同じような価値観だった。メディアも音楽も政治家も製品も。ともかくなんでも。見た目の派手さに騙されてはいけない、地味でも正しいものを見分ける眼力がなければいけない、派手さの裏にある実像を見抜かなければならない。そう教わって来た気がする。


大学進学のため上京し、その生活は一変した。まず驚いたのは街の「色」だ。これは比喩ではない。田舎のオレの街に比べて東京の街は、本当に「色数」が半端じゃなく多かったのだ。人も広告も。ともかく色が多かった(というより、オレの出身地が灰色過ぎたのだ、とやがて気付くが)。

そして人も音楽もメディアもすべてが自由だった。そんなことない、大衆はいつだってメディアに踊らされているじゃないか!という方も居るだろう。しかし、ほぼひとつの傾向の考えのみに固まっていた自分からすれば、じゅうぶんすぎるほど自由だった。選択肢はほぼ無限にあり、自分自身に全ての選択権があり…。


話が長くなったな。


オレのいろいろなエントリを読むと、今でも本質主義であることはわかるのではないかと思うが*3、その本質主義でさえも、オレは人にできるだけ頼らないで決めたい、というのが今の考えだ。つまり、その本質を掴もうとする過程で、本質主義なメディアに頼ってしまうことがないよう、非常に気を付けている、ということだ。

つまり、難しいが…。「本質主義なメディア」でさえも、実は「メディアである」という矛盾を忘れたくない、ということである。「これは事実だよ」という誰かの情報も、実は伝聞じゃないか、ということなんである。それは別にNHKを指しているわけではない。2ちゃんねるとかハテブコメントとか、そんなものでも一緒である。こうして考えると、オレがその昔、堀江氏の考えに同意したくなったのもわかる*4


オレが現在、決してNHKを見ないのは、実は自分と似ているからかもしれない*5。彼らの創作物がある一定以上のクォリティにあるのは、様々な条件を鑑みれば「当たり前」なのであり、そこに没入してしまうことは「自分自身の終わり」じゃないだろうか、と思ってしまうのだ。


五つ星レストランが美味いのはわかるさ、でも初めから美味いとわかっている料理よりも、これはあたりかはずれか、スリリングなジャンクフードの方が、時には楽しい、って感覚。ある種の夢追い人かもな。



今回のインスパイア元。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/fujipon/20070908%23p2
上記はてブ※で触れられている松岡さんの記事ってのはこちらのことかな?

*1:実際は徐々にそのことに気付き、成長とともに反逆するようになってくる。萌芽は中高時代。

*2:当時の、だよ。当時のっ!w

*3:たとえば、楽曲の真の姿はアレンジではなく歌唱でもなく、コードとメロディである、という考えなど

*4:このブクマを参考に

*5:もちろん、この地震テロップのこともあるけど、どっちかというと近親憎悪的なものかも知れぬ