演奏至上主義からの脱却


もともと楽器のプレイヤーだったオレは、聴く音楽のほうも、演奏の面白さや上手さなどで、その価値を判断するような選択を一時期していた。ポップな音楽は「流行歌だ」と、ジャズやロックなんかより一段下に見ていた時期も(今の作風からは信じられないことだが)実はあったのだ。


誰しも子供の頃は、覚えやすい歌を歌い好む。しかし、成長して来る過程で、そういうものは軽率というか、なんか安易な気がして遠ざかる時期が来る。広い意味での、これも中二病なのかもしれない。


そんな考えが根底からひっくり返ったのは*1、ブライアンウィルソンの楽曲と出会ってからなんだが、実はその前に知り合った友人の影響がかなりデカかったりもする。彼は純粋に「楽曲至上主義」を貫いていた男。今のオレの考えの発祥である。彼は、演奏というものは楽曲の邪魔をしない最低限のものがとりあえずあれば良いのであり、一番重要で大切なのは楽曲なのだ、と事あるごとに主張していた*2

その後、活動していくにつれ、その考えは正しかったことが判ってくる。演奏者とクリエーターでは、仕事の種類が違うのである。今オレがこうして曲がりなりにも印税とやらを貰えてるのも、言わば彼の触発のお陰だ。感謝しなければならない。


なんでも一人で出来るもん的な偏執狂のオレだが、それでもバンドでの演奏はライブでは避けられない。オレの曲を演奏する演奏者は一様に口を揃えてこう言う。

「アンタの曲は難しいよっ!!!」

そうなのだ。ガチガチに固まった構成とコード進行で出来ているオレの曲は、演奏中も常に気を抜くことが出来ない。アドリブ演奏などもってのほか、遊ぶ要素もほとんど無し。

これはジャズの演奏者にとってみると地獄である。


最近気付いたのだが、これはオレの、演奏者に対する「嫌がらせ」なんだろうと思った。「オマエラの好きには絶対させないよ」という信念、というか、悪意がそのコード進行のそこかしこに満ちているのだ。


こう書くと、いったいオマエの曲はどれだけ偏屈なのだ?と思うだろう。


しかしオレの創るメロディと唄は、とてつもなく覚えやすくわかりやすい、と、皆様に言って頂くことが多く*3、それがオレの作風の主な特徴でもあるのだ。


これはまるで、第一印象がとてつもなく人当たりがいいのに、第2印象での毒気に引かれてしまう、という正に「オレの性格」そのもののようではないか、と思って笑ってしまう。表面上はとても素敵な「スイーツ」なのに、そこに込められた「悪意」に気付くのは演奏者だけ、という…。ガクブル。


しかし、これはオレだけが特別なわけでは、まったくない。


優れたポップ音楽というものは、覚えやすい、判りやすい、の裏に必ず「難しい」が潜んでいるものであり、しかもその「難しい」を聞き手に1ミリたりとも感じさせてはいけない音楽なのである。


そうしてオレの、演奏至上主義者に対する復讐は続いていくのだ。フフーン。

*1:正確に言えば、ひっくり返ったのではなく「元に戻った」のだ。子供の頃の感覚に。

*2:その彼自身は今も優れたプロの演奏家である。

*3:これはマジで嬉しい。