伝言ゲーム的ミクスチュア


さて、CD再販ブームで若者はマニアックな音楽も基本にしてしまったって話まで来ましたが、そうすると前々回の「今のやつらは音楽ぜんぜん知らんよ」と矛盾してくると思います。


CD再販ブームの恩恵を受けた人々の人口が多かったので、結果的にその影響下にあるオリジナル楽曲群もそれまでに比べると圧倒的な量だった。それらが日本中に溢れ、新しい子供たちは皆それらを聴いて育ち。そうして彼らは、オリジネイターに当たることなく、多種多様な音楽性を身に着けたのだと思われる。

「まったく音楽の基本を知らない」筈の若者*1が作る音楽が、多様性があったり意外なほど高度なコード進行*2で構成されてたりするのも、そのせいではないかと考える。


以前ここでオレは「音楽は全てデジャヴだ」と書いた。何も知らないはずの若者が書いた曲の、表面を剥いだ一枚奥には「CD再販世代」の音楽性、そしてもう一枚剥いだ奥の奥に「オリジネイターの影」があり、そこが読み取れる人には今の音楽も楽しめる。ストリートのゆずもどき連中に「君らエヴァリーブラザーズ知ってる?」などと言っても意味ないのだ。


実は、これらの特徴は今に始まった事ではない。70年代中盤から何度もリバイバルブームはやってきたし、懐かしい香りのするミクスチュアポップは存在していた。しかし日本では洋楽黎明期世代の「するべき論」的思想により、オリジネイターに当たらず音楽をする事やジャンルやルーツに無知な事は恥ずかしい事とされていた。故にオレは彼らに勝つため彼らをはるかに上回る事柄を知る事に膨大なエネルギーと時間をかけたのだ(オレの音楽活動の最大のモチベーションは今でも「復讐」である)。


様々な音楽が伝言ゲームのように伝承し広がり、最早オリジナルのメッセージが何なのかさえ判らない。しかし読み取れる人にはちゃんと読み取れる。別にぜんぜん特殊な能力なんかじゃない。「空気」として感じ取る事。「あー、なんか青い空の音がするなあ」とか、そういう感覚は、そんな音楽的デジャヴから来るのだ。既にどこかで類似の音列を聴いていて、それがそういう気分を運んでくるのだ。それの何が悪い。音楽なんかみんな思い出の中にあるんじゃないか。

過去を超える必要もないし、例え稚拙だろうがなんだろうが、あなたはあなたの書いたオリジナルをなんら恥じる事は無い。


何度も言うが「今が最高の時代」なのだよ。全然悲観なんかしなくて大丈夫。

*1:オレの印象では概ね20代前半

*2:洒落ではない