ハードル破壊〜走りながら考えるということ


何かの演奏ごとを経験した人なら判るはずだが、一番訓練になり、身に付くのは、「本番を経験する」ということだ。


間違えても中途半端でも良い。ざけんなと客に座布団投げられても良い。ともかく「やること」。これこそが重要なことなのだ。


オナニーを何十万回繰り返してもセックスは上手くならない。「小さいね」「早いねー」「痛いよっ」とか相手に罵倒されても気にせずに。イク時の顔は人類史上最も情けない顔だろうが、それもあえて相手に見せることで自己解放への一歩となり。ともかくやってみることで成長し上達し、気持ち良くなっていく、というわけだ。


それと一緒でね。演奏や歌というものも、おそらく、たった一回のライブ本番は、100回のリハに相当するのではないだろうかね*1



昔気質の音楽人やマジメな方々は、実に厳しい目をお持ちで、生半可な考え、中途半端な態度、出来損ないの技術とかに対しては非常に厳しい。ヘラヘラやってたら「音楽を舐めている」と叱り飛ばされることもある。結果、何年も修行し、やっと表舞台に立てた、とか、苦節何年ってことになるわけだが、オレ個人として今いちばん興味があるのは、そういったハードルを無くすことなのだ。


そこそこ走れるようになったと見たら、さっさと走らせてしまえ、ってことである。ちゃんとできるようになるまで待ってたら、人生の半分は終わってしまうだろう。


「やってみたい」という芽を潰したくはない。何処に才能や素質が隠れてるか判らない。やらせてみて初めて開花する場合もあるだろうし、本人すら気付かない部分だって見えるかもしれない。どんなに小さな萌芽だったとしても、指導する立場の人間は、それを見逃してはいけないと思うし、つまらない禅問答なんか食らわして蹴り出したりするよりも、どんどん参加させて見たほうが、こっちもおもしろいと思う。


やってみなけりゃ判らないことはたくさんある。

*1:個人的な感触