元弱者だった人は弱者の気持ちを理解しない。


理解できない、じゃ無くて、理解しない、んだと思うな。


オレも弱者だと思って昔生きてきたし、泣き言も言ってたが、ふとしたことで努力のコツをつかみ、一時的にでも強者の美味しさを味わってしまってからと言うもの、弱者など怠け者だ、という偏見を持つようになった。


というかだね。自分は努力して頑張った、その結果としてその地位がある、という自覚症状があったわけだよ。それなのに、怠け者のオマエと一緒の扱いたぁどういう料簡だい?ってことなわけだ。


それは今現在のことではないよ。具体的に言うと高校受験のとき。まだガキだった頃だ。


何をやってもダメで、成績ですらクラスでも下のほうに属してたオレは、ふとしたことがきっかけで勉強のコツをつかみ、県内有数の進学校へ進むことが出来たのだ。


進んだからといって、そこからバラ色の人生が始まったわけではないのは以前も書いたが、気分としては「今こそ絶頂」だったし、それをきっかけとして、弱者は怠け者と決め付け、努力した自分と怠け者の弱者と同じ待遇っていうのは、どうしても許せないと思うようになり、当時旬だった赤っぽい教育(今もか?)も、偽善である、と見るようになったのだ。


そんなオレは今でも小泉的な主張にはコロッと騙される。


アレは上手いと思うよ。つまり人間、生きてりゃ、誰でも一度くらいはさ、努力で何かできるようになったってことがあるはずなんだよ。自転車乗れるようになったとか、難しい漢字いっこ覚えたとか、ギターで1曲弾けるようになったとかだね。


そんな部分を実に上手く、絶妙に刺激してくるって言うかさ、「きみだって努力すれば勝ち組になれるんだ!」って言えば、言われたほうは、ガキの頃のそんな記憶を思い出して、そうだよな!って思うんだよ。


そんで、こんなに努力した自分と、怠け者のアンタが同じ待遇なんて許せん!って思うわけだね。


そもそも成長期のガキなんて、黙ってても大きくなったり習得してったりとかするわけで、それは特別でもなんでもない部分も多いと思うんだけど、成長が止まった大人に、そんなガキの頃の記憶を上手く刺激してさ、「ほーらほーら、キミはやれば出来るんですよー」って洗脳するわけだよね。


ということで。


今のオレか?

もちろん、その偏見は持ったままだよ。


偏見、だとすら思ってないよ。


怖い話だな。



このエントリを書くに当たってインスパイアされたブログ。
深夜のシマネコBlog: なぜ左翼は若者が自分たちの味方になるなどと(以下略) アーカイブ

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