カバーとオリジナルの狭間


いつまで経っても他人の曲のカバーばかりやる人と、ある段階からオリジナルをやるようになる人との違いはどこにあるのか、最近考えている。


オリジナルを創ったり歌っている人でも、いきなり初回からそうということはないだろうから、いくつかコピーなどしてみて、その後オリジナル創りにシフトしてるはずだ。しかしいつまで経っても他人の曲をコピーし続ける人もいるのだ。

カバー好きな人というのは、その楽曲なりアーティストを心から敬愛してる事が多い。少しでも近づきたい、とか、理解したい、という気持ちがそうさせてる気がする。また、話を聴いてみると、カバー好きな連中は意外に恥ずかしがりの人が多く、自分のオリジナルなど人に聴かせるのはもってのほか、と思ってるフシもあるね。頑張って創った処女作が、敬愛するアーティストの足元にも及ばずへこみまくり、それがトラウマになったという人もいる。

前も書いたが、オレの知り合いのカバーをやってる人々は決してテクニック的に下手なわけではない。むしろオレなんかからの目で見ても、すっげえうまい。それなのに、オリジナル曲の解釈の仕方がわからなかったわけだ。


さて、そんな自分はいつオリジナルにシフトしたかというと、やっぱりごく初期のうちだった。幼少の頃から様々な音楽を聴いてきて、小学生の段階から、お世辞にも作品とは言えないものの、自分なりに鼻歌的作曲をしたりなぞし、自分の中で「自分の歌を作る」という小さなモチベーションを育て続けてた。


当時の自分の特徴で、いまでも面白いと思ってることがある。それはどんな有名天才アーティストでも「全員自分のライバル」と思ってた事だ。たとえば小学生の自分はポールマッカートニーが好きだったが、敬愛とか尊敬ではなく、完全に「自分の仲間&ライバル」だと思っていた。

いつでもきっかけや機会があれば、彼の隣で一緒にセッションとか共作できるつもりだった。曲についてディスカッションし同じ気持ちで共演できる気でいた。


この気持ちは今でもあまり変っていなくて、マッカートニーに限らず、和洋メジャーマイナー問わず、音楽をやっているものは等しく全員自分のライバルと思ってる。

この辺のオレの考え方は、カバーばかりやってる人にとっては、神を恐れぬ行為というか、ふざけるなと思う事だろう。


先日あるライブハウスに出たときに、そこのメインミキサーの方と「最近の人たちはカバーやらないですよね」という話に偶然なった。

「なんでだろね?」とオレ。すると彼は「オリジナルのほうが簡単で楽だからですよ」「今音楽やってる連中は、音楽の常識とかジャンルとかほとんど知らないよ。これ知らなきゃ話にならんだろ?みたいな基本すら知らない。人のコピーとかするより自分で作ったほうが楽だからだろうねえ」。


これが現場でやってる人の実感だとすれば、そんな状態でみんなよくあれだけのオリジナル曲を創って歌ってるもんだと、逆に感心してしまった。


昔聴いた話でU2ボノのおもしろいエピソードがある。彼らがブレイクして有名になった頃、在英大御所アーティストたちとセッションになり、全員でロックスタンダードを次々演奏し始めたが、ボノはそれらの曲をほとんど知らなくて参加できなかった、という話。これ真偽のほどはわからないけども、なんとなく有り得る話のような気がして興味深く聴いた。


今の日本もちょうど同じような感じになってるのかもしれない、と思った。