ありのままの自分を受け入れられると努力しなくなる


オレの父は家庭内では理不尽な絶対的権威を振りかざしており、子供の頃からオレは全否定され続けてきた。両親の間で争いは絶えず、オレはどちらかの味方になることを常に強要された。そんなことから、ありのままの自分を全肯定されて受け入れられたい、と常に願うようになり、人の顔色を窺うことなく自由に自分の意志のみで行動したい、という望みを持っていた。


自分は天才なのだからいつかきっと、と無理矢理自分に言い聞かせたが、それでも常に劣等感に苛まれ、自分が最低の人間であるという思いもなかなか消えず、辛い学生時代を送った。


成人した頃、まったく幸運であったが、ありのままの自分を受け入れてくれる存在と出会った。この上なく幸せな気分であった。人生の中で生まれて初めて自分が認められ思い通りになったのだ。オレは有頂天になり調子に乗り徐々に傲慢になり、やがて慢心し、気づくとすべての仲間は去り、習得した技術も衰え、感覚も鈍り、外見も激変し、最後には恋人も失い、奈落の底へ突き落とされた。


ありのままの自分を受け入れてくれるはずの人は、ありのままに振る舞った(つもりだった)自分に愛想を尽かし、去った。「あなたがいないとどうして良いかわからない」とまで言ったその人は、出会ってから3年後の冬に、あっさりとオレを捨て、くだらない他のヒトに乗り換えた(事実、最低のヒトだとみんな言っていた)。


これは未だかつて経験したことない、オレという存在の全否定だった。



これを機会にオレは自分をしっかり見つめ、何が違っていたのか、どこから道を外れてしまったのか、冷静にじっくり考えた。


そして、ありのままの自分を受け入れてくれた人に会う直前の自分が、それまでの人生の中で最高に輝いていた時期にあったことを認識した。



それは一晩でそうなったのではなく、日々の努力とか貪欲さとかによって徐々になっていったものだった、と気づき、また自分自身のことであるために、客観的に自分自身の位置、状態、レヴェルを確認することができず、結果、自分を見誤ったのだと理解した。


また、自分自身の人生で最高地点、と思っていた状態も、実は世間的には、てんで大したことがない、とるに足らないレヴェルであると認識、たかだかそんな状態で有頂天になっていた自分を心から恥じた。


そこからオレは、まず、ありのままの自分を受け入れてくれた人に出会う直前の状態(自分自身の最高の状態)に自分を戻し、そこから改めて進み始めようと決め、それを実行。そして今の状態がある。


今思うと、ありのままの自分、という言葉はとてつもなく甘い罠だった。オレは生来の怠け者であり、何もしなくてよい理由を常に探していた。努力をやめても良いきっかけを待っていた。「ありのままのあなたで良い」という言葉は、そんな自分に格好の正当さを与えた。そこに加え、かつてないほどの地位を与えられたことによって逆上せて冷静な判断力を失っていた自分もいた。


ふだん武器を持ち慣れていない人が、持つとどうなるか。普段、権力とは無縁の人が、持つとどうなるか。普段、お金とは無縁な人が...。普段、異性とは無縁な...。以下略。



今、いろんな人々をみるにつけ、その時の自分を重ねてみることも多い。「この人は持ち慣れないものを手にし有頂天な状態にある」とか、「権力を手にし横暴さが現れつつある」とか、見えてしまう。それはオレだけではないだろう。


世間の人々の直感は鋭いよ。怖いよ。簡単に見抜き、あっさり切り捨てるよ。小さな狭い世界で絶対的に振る舞っていても、それは、外の世界からみれば、他人がみれば、子供が駄々をこねているのと同じ。その世界を失えば以前の自分に、いとも簡単に戻るのだ。竜宮城。


玉手箱はすぐ横に置いてある。気付かないけど。



追記。
これを書くに当たりなんとなくインスパイアされたエントリ