タモリ的

オレの知人が今さらながらタモリ的世界に興味が沸いたというのでちょっと考えてみてみた。


深夜放送とか限られたメディアから一気にメジャー展開したのは「テレビファソラシド」だったと思うのだけど*1、その時期までのタモリって、判る人だけ判ればよい、判る人は高度な笑いセンスの持ち主、文化人、ってなある種の選民意識的笑いがあったと思う。


80年代前半。誰もが知ってると思うけど「いいとも」での起用。紳助洋七やたけしが旬であった当時において、タモリはちょっと前の芸人であった(セントルイスとかもそう)。

んでさ。「笑ってる場合ですよ」の後番組司会にタモリ起用って発表なった時に、ほぼ全員「はぁ???」ってなったの。この記憶ってみんなあると思うよ。「なんで今さらタモリなん???」という感覚。


つまりオレ達は「タモリ倶楽部」的笑いは好きだった。でもそれは一部にしか受け入れられないマニアックな笑いだし、お笑いブームの「軽チャー」的流れの中では、既に過去の笑いとなっていた、という認識で楽しんでた筈。それが「いいとも起用」って…。フジはそこ(昼番組帯)捨てたのかって思ったね。


しかし。


現実は現在のとおりである。



タモリの油抜き人生。みうらじゅん氏や安齋肇氏的達観人生ってのが最高の贅沢として映った。あらゆるものがあるこの世界で、あえて捨ててしまう人生。自然体で力は抜きつつ、実はそれでも国内有数のマニアックな人生。
そして。
自分主義。決めるのは自分。基準は自分。面白いのは自分。しかし。押し付けない。素敵。


音楽ネタに限り復活。と書いたから一応そこは筋を通しておくぞ。



タモリ1stアルバムの「ソバヤ」は日本音楽史上最高傑作のひとつである。オレにとって北山修*2。とタモリの存在は別格である。日本における、音楽としてのパロディは彼らが始めたのではなかろうか。個人的シンパシーとしては、例え事実がそうでなくても、そう断言したい。事実なんか関係ない。思春期だったオレにとってリアルだったのは、タモリ北山修氏なのだ。そう。自分の中では尾崎豊的に彼らが存在してたのだ。


オレの中での「客観」は死んでない。それこそ音楽のアイデンティティではないか。

*1:やっぱり天下のN○Kですから

*2:説明不要と思うが「帰って来たヨッパライ」の作者の一人。もう一人は加藤和彦氏。