研究者の探究本能を成就させるには。


前回の続きを半分以上書いていたのだが、無粋なブクマコメがあり、すっかりやる気をなくしてしまった。実はその記事は、前回のエントリの中の一部分だったのだが、長くなったので後半を削り、今回用に回したのだ。だから前回分は手短なエントリになってる。


オレという人は、途中で突っ込まれたりダメ出しされると、やる気を失う人間である。「あ〜あ…」って感じ。「それ言っちゃったのね」という。バンドでセッションやったりしてると判るのだけど、みんなが乗ってるときに激しく場違いなフレーズ弾いて、しらけさせるやつが必ずいる。「それ違うでしょ」みたいな。だから普段は必ず一気に書き上げることを心がけてたのだが、今回はなんとなく前後編にしてしまったのだ。失敗だった。

これが俗に言うKYってものなのかもしれないねえ。なるほど。


ということで手短に以下。結論も書く気失せたのですいません。まあ元々その程度のエントリだったのかも試練。

ここで知っておいて欲しいのは、このような研究者はエンジニアなど、技術畑の方々だけではないということ。作家さんやアーティストでも、その世界を追及されている方も多いだろう。
アーティストレベルでそのようなことを実践している方というと、オレは即座に大瀧詠一氏を思い出す。山下達郎氏もそうだろうと思う。この方達はまず個人的趣味、というか研究命題として、音響的に優れたものを追求する、ということを実践していた。
このお二方の凄いところは、その自己の目的の達成のため、商業的に大成功を収める作品も産んだということだ。結果的にそうなっただけかもしれないが、大ヒット作を生み出したことで経済的に余裕が生まれ、業界での発言力も増した。そして今も日々研究に明け暮れているというわけだ。求められない技術なら、求められればいいんじゃないのか。