影響力のある人が何をするか、言うか、である


日頃、メディアは透明なのが良い、などと言っている自論に思いっきし矛盾する意見であるが、かつてのレノン&オノのように、自分は影響力がある、という自覚があるのなら、逆にそれを国民の意識改革のために大いに利用すべきである(過去ログ)。


なんてことを思ったのは、舛添氏のこの発言が話題になっているからだ。


http://www.asahi.com/politics/update/0911/TKY200709110426.html


ばかやろう、そんなこと出来てたらとっくにしてるわい!!


とお怒りの方々の意見も良く判る。確かにそう言われたからってすぐには変わらない。しかし、それが本当に望まれていることであるなら、5年10年で本当に少しずつではあるが、風潮は変化してゆくという気もしている。


以前、中央と地方の意識格差について、古来方言の伝播に準えて、それとなく触れた


順番待ち列で、どこに並んでいたかではなく、来た順に開いた窓口へ誘導する「フォーク列方式(フォーク並び)」も、「エスカレーター右空け(地方によっては左)方式」も、10年前は考えられなかったし、いまだに実行されていない地方もある(確認済み)。分煙クールビズ、といったものも中央先行型でなければ実現し得なかった風潮と思われる。


企業や官庁などではもちろんこれらは業務命令としてあったのだと思うが、一般への浸透は「空気」によるものだろう、と想像している。つまり「逆らえないような雰囲気、逆らうと気まずくなる空気」によって一般の人々にも浸透した、という想像である。実際「そんな空気」がない地方では、いまだ浸透していない。


それらのことと、今回の「家庭だんらん法」が同列で語られるものなのかはまだわからない。しかし、これも知らずのうちに「空気」となり、残業などやりにくい風潮を産むことが出来れば、徐々に廃れてくると思うのだが。もちろんそんな甘いものではないし、悠長な状態でもないということは理解している。ましてや、それが地方や末端にまで浸透するのは何時になるのやら、と思うと気も遠くなるのは事実ですが*1


舛添氏はメディアに慣れ、その利用にも長けた方である。たとえ今現在その言葉が上滑りで「はぁ?」であったとしても、じわじわと来る影響力には期待したい。


と言いつつ次回選ばれなかったら終わりなんだよな…。

*1:半年も給与が支給されず、ましてや残業代など出る筈がない、という知人を多数知っている。以前取引のあった会社なので内情を知っているのだが、社長が怖くて社員は何も言えないらしいのだ。労働者が強かった時代なんてはるか昔のことだな…