作品を汚す権利はそれを産んだ著作者にすらない


斑のあるエントリを無駄に連発しました。なんか我ながら良いこと書いたな、と思ったエントリって、見返すと照れくさくないですか?


なので、印象薄めるためにさっさと過去ログに送ってしまえ、というのが本心だったりします。


関係ないですが、私4個もブログ書いてるんですよ。ミクシはそのうちの1個とリンクし外部ブログ設定にしてるのだけど、それも時々ミクシ日記にすることがある。そうすっと5個ですよ!5個!日記5個ですよ!どこの人気ブロガーかって話でんがな。


そのなかで割りと自分に近く、本音で書いてるなと思うのが、ここともう一個の2個だけ*1。なので、ここの存在は誰かの為というより、自分のために書いてるんだと思う。


今日カテゴリ分けをやっとしてみた*2。こないだも書いたとおり、今のところ取りとめもなく進んでる感じだけど、実は自分の中では言いたいことがひとつで一貫している。今はいくつもの支流があるだけだが、そのうち全部合流して本流になるのだろう。そうなった時は、ここも終わりかなー。


幸い、オレの前の裏ブログと比べると、ここは見ている方も少なく、安心して進められる。あんまり突っ込みもないし放置されているのでブレずに済むってことです。


裏ブログってことは当然ここともうひとつの2個だけは匿名で書いています。


匿名云々って話は相変わらず盛り上がってるけど、まぁ匿名だから書けるのはありがたいって先日書いたけど、かといって、オレの実名が今突然明らかになってしまったとしても、困るようなことは書いていないつもり。


オレが個人的にいちばん匿名にこだわっている理由は、日頃から述べているとおり、透明なメディアこそ望ましいと思ってるからなのだ。


前に、研究本の翻訳者がミクシで足跡残し、訪問読者に褒められてたのがなんだか嫌だった、と書いたけど、音楽にしろ、文章にしろ、ともかく中間メディアは色付けしてはならない、という気持ちがあるのだ。例えばこの翻訳本だとすれば、著作者こそオリジナルの発信者であり、その後の翻訳者、文体、書籍という物体、フォントなど、それ以外のすべては中間メディアと考えていて、それらが、本体であるオリジナル著作者のカラーを越えてはならない、歪めてはならない、と考える。


同じように音楽も、オリジナルの著作物、極論すれば楽曲(歌詞とメロディ。たとえ鼻歌でも!)こそが元であり、それ以外のものは余計なものである、と考える。まぁ自作自演であったら、そこに歌唱と演奏も加わるのだけど、それでも

「良い曲なのに何この歌い方はー!?」
というのがあるし

「良い曲創る人なのに何この態度や発言はー!?」
というのがあるでしょう。


著作物を産んでいる人でメディアに携わる人は、作品を産んだ責任というものがある。


偉いのは産んだ人ではなく産まれた作品である。


その作品を汚す権利は、それを産んだ著作者にすらない、と言ったら言いすぎだろうか。


その辺、忘れている人が多いのではないかな?


まぁ長くなりましたが、そういったことで極力自分のカラーが他に及ばないよう気を付けているのです。ってことです。自分自身への戒めを含め、改めて書いておきたいですね。


良い週末を。w

*1:そのふたつは裏ブログと自分で呼んでいる

*2:当初は音楽系に限る、としていた為カテゴリ分けは不要と思っていたのだ。